三宅香帆×ラランド・ニシダ「みんなもっとサボって本を読もう!」
ノイズこそ読書の醍醐味
――先ほどニシダさんが「不純な読書」とおっしゃっていましたが、逆に「純粋な読書」とはどんなものだと思いますか。 ニシダ》昔は好きな本を何度も読み返していたんです。それは純粋な読書だったのかな。今はどんなに面白くても読み返すことなく、100冊を目指すために次の本に手を伸ばしてしまう。裾野を広げるだけで何も深く入っていないのでは……というのが「不純だ」と思う理由です。 三宅》『なぜ働』を書く以前は、かつての日本人は「純粋な読書」をしていたのではないかと思っていたんですね。でも、調べてみると意外にそんなことはありませんでした。昭和戦前の人も、インテリアとして全集を買ったり自分のノスタルジーを満たすために小説を読んだり、わりと不純な動機で読書をしている。その中にあって、親が買うだけ買って積んである全集を子どもが読んだり、古本屋に売られた円本を誰かがたまたま買って読んだり、そういう稀有な読書体験が「純粋な読書」ととらえられていたのかなと思います。そのあたりは昔も現代もあまり変わらないのかもしれません。 ただ、自分より上の世代には「本を読んでいるほうが格好良い」という価値観はあったように思います。下の世代になるとほとんどないのではないでしょうか。 TikTokで『アルジャーノンに花束を』という誰もが知っていると思っていた小説がバズったとき、驚くと同時に、本はニッチな趣味になっているんだなと思ったんです。いわばレコードの格好良さと似ているというか。レコードは格好良いけど、それがメジャーな格好良さかと言われるとちょっと違いますよね。本もそういうものになってきてしまっている。そのあたりをもう少しカジュアルに解放していけたら、とは思います。 ニシダ》『アルジャーノンに花束を』のTikTokでのウケ方はすごいですよね。でもバズっているのを見て買った人の何割が読み通したんだろうと考えると、そんなに多くはないんじゃないかと思ってしまう。 自分たちでYouTubeチャンネルをやっているので視聴者の離脱率が見られますが、最初の12秒ぐらいで面白いことを言わないと視聴をやめる人が多いんですよ。そう考えたら、本は読み始めて12秒ではまだ面白くないじゃないですか。だから若い人はあんまり読まないんだろうな、って。 ――本は欲しい情報が最速で手に入るメディアではないという意味で、『なぜ働』で三宅さんが指摘された「読書はノイズ」という話と通じるものがあるように思います。 ニシダ》あの分析には「確かにそうだな」とすごく納得しました。僕も何かを急いで調べたいときはネットで検索してしまいます。そういうときは、欲しい情報以外はいらないから。でも「なんとなく全体像を知りたい」というときは、ノイズというか周辺情報も入ってくるほうがいいので本を読みます。 小説も、情報ではないし面白さを感じるまでに時間がかかるから、やっぱりノイズだとは思う。でもノイズが楽しいんですよ。それがなくて無味乾燥になったら、納豆を洗って食べるようなものだと思います。 三宅》いいですね、その表現(笑)。洗って食べても栄養素は変わらないかもしれないけど、おいしいところはどこなのよ、という。 ニシダ》「そこがうまいんじゃん」って。それと、スピードは確かに遅いんだけど、そこも良さなのかなと思います。最初に大学を中退した後、テレビやお笑いライブを観られなくなったり、ラジオを聞けなくなったりした時期があったんです。メンタルの不調が原因だったと思いますが、そんなときでも本は読めたんですね。多分、本は自分のスピードで読み進められるのが良かったんだと思います。テレビもラジオもお笑いも音楽も全部、他人のスピードで進むじゃないですか。 三宅》それはすごくわかります。