<躍進の先に―22センバツ日大三島>野球部の歩み/下 「県東の強豪」確立 夢舞台へ「絶対に行く」 /静岡
◇20年から新監督 「一歩及ばず」打破 「あのダイビングキャッチがなければ……」。2016年夏の県大会。日大三島の当時の主将で3年だった今野勇斗さん(23)は、今でも準々決勝での負けが忘れられない。 相手は袋井。試合は0―1の劣勢で延長十回裏に入った。日大三島は1死二塁の好機を作り、長尾樹選手(当時2年)が二塁手の頭を越える鋭い打球を放つ。「同点に追いついた」。そう思った瞬間、袋井の右翼手が打球をダイビングで好捕。飛び出した2走も塁に戻りきれず、併殺で試合終了となった。 袋井はその後、決勝まで勝ち進み、決勝で常葉菊川(現常葉大菊川)に0―12で大敗した。「もし袋井に勝っていれば、自分たちが甲子園に行けたかもしれない」。甲子園を逃した悔しさを胸に、今も社会人野球の山岸ロジスターズ(島田市)で現役を続ける。 日大三島は、1989年夏の甲子園に出場している。84年のセンバツに続く2回目の甲子園。初戦で熊本工(熊本県)の猛打を前に、4―13で敗れた。 その後は、03年夏の県4強などの成績を残すものの、なかなか県大会を勝ち進めない。県内ではその頃、常葉菊川が台頭する。07年のセンバツ優勝をはじめ、夏の甲子園でも07年は4強、08年で準優勝など、一時代を築く。全国の高校野球ファンに「静岡といえば常葉菊川」とのイメージが定着した。 一方、日大三島も10年代に入ると勢いを取り戻す。川口剛監督(当時)のもと、エースの小沢怜史投手(現・プロ野球ヤクルト)を中心に、14年夏の県4強、14年秋の東海4強と結果を残す。「県東部の強豪」という立ち位置は、確かなものとなった。 今野さんが主将に就任した直後の15年秋も、県大会で準優勝。東海大会ではいなべ総合(三重県)に1回戦で敗れたが、今野さんは「甲子園に必ず行けると思っていた。それだけの練習もしていた」と自負する。今野さんが卒業した後の17年夏の県大会でも準優勝。甲子園には一歩、及ばなかった。 近年は藤枝明誠などの新しい私学が力を伸ばした。20年の甲子園交流試合に加藤学園、21年のセンバツに21世紀枠代表として三島南が出場するなど、県東部勢の活躍も目立った。そんな中、20年4月に現在の永田裕治監督(58)が就任。選手たちの意識を「(在学中に)一度は甲子園に行けたらいいな」から「絶対に行く」へと変え、2年足らずで、チームを38年ぶりのセンバツへと導いた。 OBたちは、現在の日大三島の躍進をどう見ているのか。「後輩たちが頑張っていると、自分も(ロジスターズで)頑張らなきゃと思う」。今野さんにとって、後輩たちの活躍が刺激になっている。「母校が強いと、自慢にもなる」と笑う。 OB会長の長谷川記一さん(55)は「選手を『その気にさせる』のが上手」と永田監督の手腕に感服する。後輩たちに「甲子園に立てる喜びをかみしめてプレーしてほしい」とエールを送った。【深野麟之介】