「ベッドの中で、2人は激しく愛し合った」“伝説のヤクザ”とセレブ女優が男女の関係に…俳優に転身した安藤昇の“凄すぎるモテ伝説”
「豪邸を借りて住んでいた」瑳峨の優雅な暮らしぶり
昭和42年(1967年)当時、瑳峨は、渋谷区松濤(しょうとう)に200坪の敷地を持つ、大使館級の2階建の豪邸を借りて住んでいた。部屋は洋式で、2階の寝室は20畳ほどあった。2階にはそれ以外に2部屋ほどあった。女中もいた。瑳峨の愛車は、流線型で近未来を思わせるフランスの高級車シトロエンDSだった。 安藤はいまでも、車体が上下する様子を印象的に覚えている。しかし、そのシトロエンも瑳峨が運転するわけではなく、専用運転手がいた。そのころ瑳峨は、仕事量も減っていたはずだが、不思議なほど優雅な暮らしぶりであった。 付き合い始めた当初、安藤は、瑳峨に経済的な援助をすることはなく、なにからなにまで至れり尽くせりの厚遇を受けていた。 じつは、その松濤の豪邸の賃料は、十数万であったといわれる。いまの80万円ほどであろうか。 そのほかにも瑳峨の金遣いは荒く、青山の某美容室に約10万、京都・都ホテル数十万、ハイヤー会社40万、宝石店85万、呉服店数十万など、すべて太平洋テレビに請求書が回されていたともいわれる。皮肉なことに、瑳峨のとびっきりの優雅さは、のちに泥仕合を演じる清水昭社長が支えていたわけである。
「なんで、薬をやるんだい?」安藤が瑳峨に聞くと…
それはそれとして、安藤と瑳峨は、特別な信頼関係を深めていった。ある日、安藤は、瑳峨に薬物乱用の噂について、率直に訊いてみた。 「なんで、薬をやるんだい?」 瑳峨は、噂をきっぱり否定した。 「いいえ、麻薬なんかやってないわ。ただ、子供の時に乗馬をして、足を折ったの。足の痛みがあんまりひどいから、痛み止めの薬を飲んでいたら、それが癖になっちゃったのよ」 不思議と安藤が瑳峨の家にいるときに、瑳峨が薬を飲んで酩酊している姿や、うずくまるところを見たことがない。松濤の家では、静かに寝ていることも多かった。 むしろ、甲斐甲斐しく尽くす瑳峨の姿が、安藤の目を惹いた。朝になれば、安藤に新聞を持ってきた。料理も、当時としては珍しいアスパラガスを調理して出した。瑳峨は、安藤に尽くすのが、楽しくて仕方ないという感じだった。 しかし、安藤と嵯峨には、波乱が待ちかまえていた……。
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