黒船が火を吐き空を飛ぶ⁉…教科書には絶対に載っていない「当時の庶民の感性」が色濃くにじむ「歴史小説」の魅力
日本橋を出発点に、53の宿場を経て京都三条大橋を終着点とする東海道五十三次。 その約490キロメートルにわたる長い旅路の上には、四季の変化に富んだ美しい国土、泰平無事の世の艶やかな賑わいが確かにあった。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 各宿場を舞台にした時代小説を解説しながら、江戸時代当時の自然・風俗を追体験する旅好きにはたまらない一冊『時代小説で旅する東海道五十三次』(岡村 直樹著)より一部抜粋してお届けする。 『時代小説で旅する東海道五十三次』連載第4回 『あのアメリカ領事も舌鼓を打った! …江戸っ子たちが片道10km歩いてでも食べたかった川崎の逸品「奈良茶飯」とは』より続く
第3宿・神奈川
『元治元年のサーカス』(岩崎京子) ☆宿場歩きガイド 旧神奈川宿は、JR横浜駅下車、西口から沢渡方面に歩き、7分ほどで「台」の通りに出る。現在の神奈川区台町や高島台のあたりで、湾内を見渡せる景勝地だった。市立神奈川小の擁壁には、東海道分間延絵図の神奈川宿部分のタイル絵を拡大して掲出。 「台」の坂を登っていくと、料亭「田中屋」の前に広重の浮世絵のレリーフがある。この料亭は、坂本龍馬の死後、妻のおりょうが勝海舟の紹介で働いていた、という。英語が話せ、月琴も弾けたおりょうは、外国人の接待に重宝だったとか。
寺に置かれた領事館
神奈川宿は安政5(1858)年、日米修好通商条約にもとづいて開港地と定められ、各国の領事館が置かれ、寺に置かれた領事館や公使館が少なくない。開港当初のアメリカ領事館は本覚寺、フランス領事館は浦島寺とも呼ばれる慶運寺、オランダ領事館は長延寺……。 田中屋からさらに坂を登ると、神奈川台の関門跡。攘夷(じょうい)派による外国人殺傷事件がひんぴんとして起きたため、幕府は主要地点に関門や番所を設け、警備を強化した。そのうちの西側の関門にあたるのがここだ。港内の見晴らしがよかったというが、今はマンションに遮られて、ろくすっぽ見えず、潮騒も聞こえない。 本覚寺山門の脇には、アメリカ公使ハリスと交渉にあたった全権委員のひとり、岩瀬忠震の顕彰碑が建立されている。また、宗興寺は、アメリカ人宣教師で医者でもあったヘボン博士が施療所を開いていた場所である。