田名網敬一お別れの会、国立新美の回顧展会場で実施
今年8月9日に88歳で逝去した田名網敬一。そのお別れの会が、東京・六本木の国立新美術館で執り行われた。 田名網はデザイナーとしてキャリアをスタートさせ、60年代から現在に至るまで幅広いジャンルを横断し、独自の地位を築いてきた。今年6月後半には骨髄異形成症候群を患っていることが判明し、復帰を目指して治療とリハビリに励んでいたが、7月末にくも膜下出血を発症。奇しくも世界初の大規模回顧展となる 「田名網敬一 記憶の冒険」(8月7日~11月11日)が国立新美術館で開幕した直後に帰らぬ人となった。 お別れの会は同館休館日を利用して行われ、会場にはこの日だけの献花台が設置。多くの参加者が紙製の献花(美術館では生花が禁止されているため)にメッセージを残し、故人との別れを偲んだ。 会では、生前田名網と親交のあった逢坂恵理子(国立新美術館長)、一番弟子の宇川直宏(アーティスト)、教え子だった佐藤允(アーティスト)、そして所属ギャラリー NANZUKA UNDERGROUNDの南塚真史がスピーチ。篠原有司男・乃り子 (アーティスト)がニューヨークから音声メッセージを寄せた。その一部を抜粋して紹介する。 私たちにとって無念なことは、この会場に田名網さんにお越しいただけなかったこと。本展で田名網の想いを分かち合いながら、その業績を振り返ってほしい。(逢坂恵理子ののスピーチより一部抜粋) 世界はまだ田名網敬一を発見したばかりで、作品の学術的、社会示唆的、マーケット的、さらには歴史的な価値に対する再評価は、この展覧会でいま始まったばかりなんです。なのに、 先生はその風景を生身のお姿で拝むことなく、天に召されてしまった。この展覧会は、先生の88年の人生が恐縮しております。年を重ねるごとにますます言葉するエネルギーで、つねにその活動の歴史をアップデートし続けた田名網氏は、日本のグラフィックイズム の歴史そのもの。田名網敬一とその作品は未来永劫生き続ける。(宇川直宏のスピーチより一部抜粋) 僕にとって先生は最後までかっこいい人で、そして僕も先生のように誰かを大切にしたいと思いました。いま、 どこに向かって話しているのか。先生は空の上にいるようで、美術館にいるようで、作品の中にいるようで、アトリエにいるようで、心の中にいるようで、誰かの笑顔の中にいるようで、 わからなくなりますが、いまとても寂しく、あれから相変わらず心はぐちゃぐちゃですが、 僕はあなたに会えて本当に嬉しいです。また手紙を書きます。(佐藤允のスピーチより一部抜粋) 僕の仕事はずっと田名網の仕事を説明し続けるものでした。その成果がこのような立派な展覧会としてお見せできた。田名網はこの展覧会を自分の夢として、楽しみにしてきました。僕にとっても田名網の不在が信じがたい。田名網はもともと自分の夢と記憶をごちゃ混ぜにし、それを作品制作のエネルギーにしてきた。この展覧会の完成形は見られていませんが、自分の夢の中できっとこの展覧会は見ただろうなと思っています。これからより田名網敬一という特異なアーティストの真価を訴え続けたいと思います。(南塚真史のスピーチより一部抜粋) なお「田名網敬一 記憶の冒険」 は11月11日まで開催されている。「記憶」という言葉をキーワードに作品をたどることで、田名網の半世紀以上にわたる創作活動の全貌に迫る圧倒的な展覧会をお見逃しなく。
文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)