指導者に「大きくて強そうな人」を選ぶ残念な本能 通用しなくなったのに残る石器時代の思考法
こうしたミスマッチが起こるのは、人間社会が唐突に変化するからだ。過去には、糖分や脂肪分に対する脳の渇望に従った人々のほうが生き残りやすかった。 今日、石器時代の本能に従う人は、肥満になったり糖尿病を発症したりする可能性が増し、死ぬ可能性さえ高まる。また、私たちは今やクモよりも自動車を恐れるべきだ。ところが、私たちの暮らし方における突然の根本的な変化のすべてに、脳が追いついて適応する時間がまったく足りなかった。
■指導者の選択におけるミスマッチ だから、もし石器時代の心が食生活や恐れにまつわるミスマッチを生み出したとすれば、指導者の選択についてもそれに相当するミスマッチを生み出してきたのではないかと考えるのは、理に適っているように思える。 私たちは、石器時代の祖先が最も望ましいと思ったような指導者の特性を好むように、頭がプログラムされているのだろうか? たとえば、剣歯虎(けんしこ)を撃退したり、ガゼルを狩ったりするのが得意になるような特性が、用紙を供給する企業の中間管理職の仕事をうまくこなせるようにする特性と同じかどうかを問うのは、もっともなことに思える。
私たちが身体的な外見を、指導者選びのときの近道として使うことを示す証拠はたっぷりある。それは新しい現象ではない。 プラトンも『国家』でそれを取り上げ、無能ではあっても、他者よりも背が高くて力の強い船長が、愚か者たちの乗った船を率いている様子を説明している。 プラトンの言うことにも一理ある。私たちが指導者を選ぶときには、石器時代の脳と、ヒトという種の進化史のせいで、女性よりも男性を、背の低い男性よりも背の高い男性を、自分たちに似ていない人よりも最もよく似ている人を選ぶことを、科学は示しているようだ。
アムステルダム自由大学の進化心理学教授マルク・ファン・フフトは、過去数十年間、このような偏った好みと、それを生み出したミスマッチを調べてきた。 彼は著書『なぜ、あの人がリーダーなのか?』(アンジャナ・アフジャと共著)で、これらの好みが振るう力の大きさは状況次第であるものの、そうした好みが常に存在していることを示した。 とはいえ、これが決定的な点なのだが、このような認知バイアスが存在するからといって、それが不可避だったり、許容可能だったり、「自然」だったりするとはかぎらない。こうした馬鹿げた衝動を無効にすることは可能だ(そして、不可欠でもある)。