どうなる天皇杯を連覇したガンバ・宇佐美の去就
半ば強引に宇佐美を呼び戻した当時の背景を、ガンバの梶居勝志強化本部長はこう語ったことがある。 「ドイツでの2年間の下積みで得たものを、さらにパワーアップさせるためのリセット。まだ21歳ですから」 宇佐美自身も、当時はJ2を戦っていたガンバでの復帰をこう位置づけていた。 「ヨーロッパという選択肢も、もちろんありました。ヨーロッパでもう1年やるほうがいいのか、ガンバに戻って力を蓄え直すほうがいいのか。すごく悩みましたけど、どちらが選手としてより大きくなれるのかを考えたときに、人はそれぞれ考え方があると思いますけど、自分はガンバでもう一度やり直した方がいいという結論に達しました。自分にとっては、日本に帰るとなったらガンバしかないと常に考えていました。J1にいようが、J2にいようが、その下にいようが、自分にとってガンバはガンバ。J2への抵抗はありませんでした」 その後の軌跡は、あらためて説明するまでもないだろう。2013年シーズンは後半戦だけで、出場試合数よりも多い19ゴールをマーク。ガンバの1年でのJ1復帰に大きく貢献した。 けがで出遅れた2014年シーズンは、夏場から右肩あがりの曲線を描き出した宇佐美のパフォーマンスに比例するようにガンバも上昇。2000年シーズンの鹿島アントラーズ以来となるシーズン三冠を独占する原動力になった。 迎えた今シーズンは、開幕からゴールを量産。疲労が蓄積したシーズン終盤の失速で得点王は逃したものの、自己最多の19ゴールをあげて得点ランキングの3位に食い込んだ。 ガンバはリーグ戦、ナビスコカップ、天皇杯に加えてACLでも日本勢で最高位となる準決勝へ進出。天皇杯決勝で実に年間60試合に達し、宇佐美も念願のA代表デビューを。その後もフルに招集されたハリルジャパンでの活動が加わった。疲労が蓄積した理由はここにある。 「もちろんタイトさは感じましたし、疲労で自分らしくプレーできないことが多々あったと思いますけど、こういう日程で試合ができたことはすごくありがたかった。こういう試合数であると想定したうえで、しっかりと体を作っていけば十分に対応できるスケジュールなので、僕自身はまったく問題ないと思っています」