【長嶋茂雄は何がすごかったのか?】南海ホークスの名投手・佐藤道郎が語る"ミスタープロ野球"<前編>
佐藤 王さんは庶民的で、長嶋さんはやっぱりスターだと感じだね。王さんの印象は「なんて、目の大きな人なんだ!」。どんなピッチャーの時でも王さんはいつも変わらず、一本足打法でさっと構えるんだけど、長嶋さんは、なんか、落ち着きがない。印象はまったく違ったね。 ――まさに静の王さんに対して、動の長嶋さん。 佐藤 新人の俺からすれば、ON(王・長嶋)と対戦できるだけで名誉。ふたりとも、俺が小学生の時から見ているスーパースターだから。 三振を取ろうなんて思わない。気をつけたのはフォアボールだけ。見ている人に「逃げた......」と思われたくないから。特に力が入ったとか、意識したというのはなかったね。 ――王さんには何を投げましたか。 佐藤 初球にスローカーブを投げたんだよ。そうしたら王さんがニコッと笑ったのを覚えている。「新人のくせにやるな」と思われたのかどうかはわからないけど。 その試合で王さんから三振を取って、長嶋さんはセカンドフライだったかな? あの時に、「俺もやっとプロになれた」と思ったね。ふたりを打ち取ったことで、自信にもなった。昔、片平晋作という選手が南海にいたの、覚えてる? ――はい、王さんと同じように一本足打法で、通算176本のホームランを打った長身の左バッターですね。 佐藤 そう。福岡の平和台球場での試合が雨で中止になって、みんなで巨人戦をテレビで見ていたんだよ。その時、王さんが指に何カ所かテーピングをしていたから、「絶対に明日、片平が真似するぞ」と選手たちで言い合っていた。案の定、翌日、同じ個所にテーピングしてグラウンドにいたよ。 ――それだけ王さんのことに注目して、王さんになり切ろうとしていたんでしょうね。 佐藤 片平は王さんのことを崇拝していたからね。ほかにも一本足打法に挑戦した選手もいた。長嶋さんに憧れた選手は多かったけど、真似できた選手はいなかったんじゃない? 長嶋さんと同じことをしようとしても、できなかったんだよな、きっと。 後編に続く。次回の配信は10/12(土)を予定しています。 ■佐藤道郎(さとう・みちお) 1947年、東京都生まれ。日大三高から日大に進学ののち、1970年にドラフト1位で南海ホークスに入団。1年目から抑え投手として活躍し、ルーキーイヤーに最優秀防御率と新人王をダブル受賞する。74年には最優秀防御率に加え、パ・リーグの初代セーブ王に輝いた。79年に大洋ホエールズに移籍した後、翌80年に引退。その後、ロッテ、中日、近鉄でコーチ、二軍監督を歴任し、現在は東京・学芸大学にて『野球小僧』の店主として店に立っている。 「野球小僧を応援する会」FB【】 取材・文/元永知宏