【長嶋茂雄は何がすごかったのか?】南海ホークスの名投手・佐藤道郎が語る"ミスタープロ野球"<前編>
佐藤 長嶋さんは1936年2月生まれで、南海の先輩だった杉浦忠さんや野村克也さんと同じ学年。俺とはひと回りも年齢差がある。 あの頃、リーグの違う選手と顔を合わせるのはシーズン前のオープン戦かオールスターゲームか、日本シリーズくらいしかない。 ――長嶋さんとの初対決は? 佐藤 俺がプロ野球に入ったのは1970(昭和45)年で、大阪万博(日本万国博覧会)の年だった。オープン戦で長嶋さんにホームランを打たれて、「長嶋、万博第1号」とか新聞に大きく書かれたことを覚えているよ。キャッチャーの野村さんに「あんなボール投げやがって」とむちゃくちゃ怒られた。 ――野村さんが選手兼監督になった年ですね。佐藤さんは主にリリーフとして55試合に登板(先発は3試合)。18勝6敗、防御率2.05という成績を残して、最優秀防御率のタイトルを獲得し、新人王に選ばれました。 佐藤 当時は二軍の選手たちはコーチとかにボコボコに殴られていたから、あそこでは野球したくないと思って必死に投げた。俺は日大の1年の時に鼓膜を破られた経験があるから、あんなのは嫌だったからね。 ――当時、パ・リーグの観客動員は非常に厳しかったと聞きます(1970年の南海の観客動員は453,980人。1試合平均で約7,000人)。 佐藤 そうだね。全然、お客さんは入らない。満員になることなんか、なかったから。でも俺にとってはやりやすかったよ。手抜くのが好きだったから(笑)。 満員の観客が見ているなかで目一杯投げていたら、早く故障したんじゃないかな? いつも「八分目」を心がけて、適当に力を抜きながら、コントロールに気をつけて丁寧に投げた。だから。プロで11年間も投げられたのかもしれないね。 ――1970年、佐藤さんはルーキーながらオールスターに出場します。 佐藤 南海の本拠地だった大阪球場で行われたオールスターに出た時のことはよく覚えているよ。パ・リーグの選手たちがバッティング練習をしている時、俺は何人かと雑談しながら外野で球拾いをしてたんだけど、セ・リーグの選手たちが登場した瞬間にスタンドが「うわーっ」となった。それまではシーンとしていたのに。 ――そのなかには当然、長嶋茂雄さんや王貞治さんがいた? 佐藤 王さんにあいさつしたら、俺の肩を叩いてくれたんだよね。そのあと、長嶋さんが少し遠くに見えたから「こんにちは」って言ったら、俺の顔を見て「おっ」と手を挙げてくれたんだよ、あの時はうれしかったねえ。 ――どんな印象を持ちましたか。