死者24人「逆噴射」機長の「精神鑑定」入院中の姿を撮影せよ 秘密兵器は「花火」だった
「逆噴射」機長を撮影せよ
今年1月2日、羽田空港で日本航空と海上保安庁の航空機が衝突した事故を見て、かつての日航機による「羽田沖墜落事故」を連想した方もいることだろう。 【当時の写真をみる】真っ二つになった日本航空350便のすさまじい姿 今から41年前、1982年2月9日、福岡発東京行きの日本航空350便が羽田沖に墜落。乗客24人が死亡するという大事故になった。
日航機のスタッフたちの優秀さが賞賛された今回の事故と好対照なのは、この墜落事故では原因が機長にあるとされた点だろう。事故後、判明したのは機長が精神病を抱えていたこと、着陸前に「逆噴射」という異常な行動を取っていたことだった。 「逆噴射」という言葉はこの年の流行語にもなる。 多数の犠牲者を出した事故の「犯人」ということで、世間の関心はこの機長(以下、K機長とする)に集まった。しかし、精神病の疑いがあることから、彼は5月以降、鑑定留置に付されていた。 その彼の近影を撮影できないか。そう考えたのが当時、創刊1年目の写真週刊誌「FOCUS」編集部だった。鑑定留置中の人物を撮影するというのは、現在はもちろんのこと、いろいろなことが緩かった昭和の時代においても、極めて困難なミッション。それをいかにして実現したか。以下、書籍『フォーカス スクープの裏側』(フォーカス編集部編)をもとに見てみよう(以下は同書をもとに再構成しました)
病院に溶け込む
K機長の近影撮影という仕事を担当したのは、「週刊新潮」出身のベテラン、H記者である。カメラマンは田中角栄の法廷写真を撮影したことで知られる福田文昭カメラマン。 K機長の「入院先」が、東京郊外の警察病院だということは既に判明していた。が、それだけでは何日経っても撮れるわけがない。 そこでH記者は患者を装って病院に入り、情報収集を始めた。警察病院というと、内部に警察官が溢れ返っているようなイメージがあって、他のマスコミも遠巻きに見ている状況だった。それが狙い目である。 まずH記者は患者たちがたむろしているサロンで数時間過ごした。実際には、病院内には、警察官ではない一般の患者が多数いる。何となく顔馴染みになっていき、そのうち「すみません、火貸してください」と隣の患者に声をかけた。さらに「マスコミが集まってうるさくてしゃあないな」といった調子で話を始め、徐々にK機長の情報を集めていく。 もっとも、情報収集だけならともかく、警察病院内で無断撮影、となるとかなり成功率は低い。そもそも掲載した際には、住居不法侵入を指摘されるリスクだってある。 どうしたらいいものか。 夜になって病院の外に出たH記者はハッと気づいた。 K機長の部屋には鉄格子がはめられていた。夜間は室内に明かりが点けられる。 「鉄格子越しのK機長。これ程、彼の現状を伝えられる写真は無い」と考えたのだ。 H記者は、福田カメラマンと早速、下見を始めた。重要な件ではかならず彼に依頼をしてきたからだ。 幸い、病院の裏手は広大な空き地だった。下見してみると、昼間は太陽光がガラス窓に反射するため、やはり夜にならないと室内は見えない。 しかし、それにしても問題は対象がいつ窓際に顔を出すか、である。 いかに空き地とはいえ、長期間張り込みをすれば、気づかれる可能性がある。 福田はベテランの「張り込みカメラマン」だった。他のカメラマンが1時間で音を上げる現場に何日も張り込んでいる根気強さがあった。 一方で、H記者は新しいアイデアを使った撮影をFOCUSで既にいくつか成功させていた。ある鉄道会社の労使問題に絡んでは、鉄道会社の制服を調達してきて、カメラマンに着せて潜入をさせた、なんてこともあった。 そのH記者が、この時考えた撮影のための秘密兵器は、「花火」。 「花火と爆竹を外でババババッとやれば、みんな何かと思って窓を開けるに違いない。Kだって開けるだろう」 と考えたのだ。 昼間の下見段階でH記者が発案したこのアイデアは、即日、決行される。花火と爆竹を買い込んできたH記者は、病院の裏手、K機長の病室の真正面でスタンバイ。福田はやや斜め方向の小高い丘でカメラを構えた。 病室までは約30メートルと距離があるため、800ミリの超望遠レンズを使用。カメラは三脚で固定した。 夜8時半。打ち合わせ通りにH記者が花火と爆竹に点火した。