パチンコで得た“あぶく銭”で「ガチャ課金」 普通の大学生に負のスパイラルが導く「ギャンブル依存症」へのトビラ
「ネトゲ廃人」生み出すゲーム・ネット依存
2013年、ドイツの精神医学者、マンフレド・シュピッツァーが出版した『デジタル・デメンチア』が世界中で話題になり、日本語訳も発売された。 「デメンチア」は「認知症」の意味だが、本のタイトルは著者のオリジナルではなく、韓国の医師グループの発表論文に基づくものらしい。「若者たちの間で記憶障害、注意障害、集中力および感情の皮相化、一般的な感情の鈍麻が増加傾向にある」ことが、さまざまな事例を使って紹介されている。 1950年代、テレビの普及が始まったころ、ジャーナリスト、社会評論家の大宅壮一氏が「テレビ、ラジオによる一億白痴化運動」と似たようなことを言っていたので、「またか」と思わないでもないが、放送時間など、プログラムに左右されることがないネット依存・ゲーム依存の深刻さは、当時のテレビ・ラジオとは比較にならない。 かつて、テレビばかり見ている子どもは「テレビっ子」と呼ばれ、むしろ今ならのどかな響きまでも感じるが、ネットゲーム、ソーシャルゲームの世界では、度を越した没頭、ゲーム内の架空世界に耽溺して、社会生活が送れなくなった「ネトゲ廃人」さえ生み出してしまった。 すでに「ゲーム依存」「ネット依存」は深刻な問題となっている上に、今後、メタバースに代表されるような仮想空間が身近になれば、今以上にリアルなシミュレーションゲームが出現することは確実だ。シュピッツァーが『デジタル・デメンチア』で予見した以上に大量の「認知障害者」が出現する可能性だってある。 * 現金という即物的な報酬が目の前にちらつくギャンブルとは異なり、オンラインゲームのガチャは刹那の満足以外、何も手元に残らない。 それが非生産的な行為であることぐらいは、セイタは十分に理解していた。それでもやめられなかった理由は、手元にあった「あぶく銭」の存在だ。さらにソーシャルゲームのギャンブル性に、自分の理性が麻痺していたことが輪をかけた。自制心を促す仕組みがあった現実社会のパチスロチームとは違い、スマホゲームの舞台である仮想空間には、自分自身にストップをかけてくれるリミッターがなかった。