傲慢な歌ではなかった? 道長「この世をば~」にSNSでさまざまな解釈、第10回の銀粉演出は伏線だったのか【光る君へ】
平安時代の長編小説『源氏物語』の作者・紫式部(ドラマでの名前はまひろ)の人生を、吉高由里子主演で描く大河ドラマ『光る君へ』(NHK)。11月17日放送の第44回「望月の夜に」では、藤原道長の有名なあの歌がついに登場。そこに込められた道長の思いについて、SNSではさまざまな意見が飛び出し、この歌が単なる自慢の歌とは限らないという、認識を改めるきっかけとなった。 【写真】歌を詠んだ道長を見つめるまひろの表情 ■ 道長から摂政と左大臣の職を辞すと相談され…第44回あらすじ 父・藤原為時(岸谷五朗)が、家族たちに出家する決意を明かすなか、まひろは『源氏物語』の続編を書きつづけていた。そんな折り、まひろの房を藤原道長(柄本佑)がたずねてきて、摂政と左大臣の職を辞すことを相談。まひろは道長の「民を思いやる心」が息子たちに伝わっているかどうかを問うが、それになんの意味もないと道長は返答。まひろは道長の思いは、時を経ればなせるかもしれないと言って励ました。 道長は嫡男・頼通(渡邊圭祐)に摂政の座を譲り、即位した後一条天皇(橋本偉成)に娘・威子(佐月絵美)を入内させた。それにより、彰子(見上愛)は太皇太后、妍子(倉沢杏菜)は皇太后、威子は中宮と、道長の娘たちが3つの后の位を独占することに。その祝いの席で道長は、満月を見ながら「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という歌を詠む。藤原実資(秋山竜次)の提案でその場にいる皆が道長の歌を唱和する姿を、まひろは感慨深く眺めるのだった。
『光る君へ』ではどう解釈するか、注目が集まっていた道長の歌
まひろが『源氏物語』の執筆を開始する瞬間と並んで、すべての視聴者がこのときを待っていたと言っても過言ではない。藤原道長を象徴する、日本の歴史上もっとも有名な歌の一つ「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」が、ついにこの第43回で登場した。このドラマが放映される前日の11月16日は、ちょうどリアル道長がこの歌を詠んだ晩と、ほぼ同じ状態の月が登った夜。SNSでも評判となっていたので、見上げた人も多かったのではないだろうか。 さてこの歌の意味だが、歴史の教科書などを通じて「娘3人を入内させ、栄光の絶頂にある道長が『この世は俺のもの』と、自己満足フルスロットルで詠んだ歌」と思っていた人も多いだろう。しかしこの歌は道長が文章で遺したものではなく、歌を詠む現場にいた藤原実資が、日記「小右記」に書き記したことで世に伝わった。なので「この世ではなくこの『夜』では?」「だったら意味が変わってくるのでは?」など、実は最近になって解釈が見直されているところなのだ。 とくにこの『光る君へ』の道長くんの場合、まひろとの約束で権力ゲットには大変熱心だけど、だからと言って「俺ってすげえだろ?」と自慢をするようなタイプでもない。一体どんな心境で詠われるのか? と思っていたが、SNSでは「后となった3人の娘たちへの思い」「陰りが見えた人生への挽歌」「まひろとの愛の総決算」みたいな、さまざまな意見が飛び出てくる、非常に味わい深いシーンとなっていた。