【SHO-BLUE】博物館館長が語る大谷翔平の米野球殿堂入り イチローは来年に資格1年目
<SHO-BLUE> 米国野球殿堂が来夏に企画展「野球とベースボール、太平洋を越えた日米の野球交流」を開始することになり、ドジャース大谷翔平投手(30)をはじめとする現役とOBの日本人メジャーリーガーの多くが賛同し、協力している。来年は通算3089安打を放つなど多くの記録を達成したイチロー氏(50=マリナーズ球団会長付特別補佐兼インストラクター)が殿堂入り資格を得る1年目。そして、その後に続くのはやはり大谷なのか-。米国野球殿堂博物館のジョシュ・ラウィッチ館長(47)に語ってもらった。【水次祥子】 ◇ ◇ ◇ ラウィッチ館長は今年、日米野球交流企画展のためあらゆる場所を飛び回っている。現在の大きな仕事の1つは展示品の収集。4月には来日し日米の野球史ゆかりの地を回った。帰国して数日後にはヤンキースタジアムで松井秀喜氏と対面し、7月2日にはドジャースタジアムで大谷からバットを受け取り、同16日にはカブス今永昇太投手から帽子も受け取っている。 「オオタニには、展示品収集に本当に協力してもらっている。スパイク、肘当て、ユニホーム、帽子、ヘルメットなどあらゆる物を受け取った。7月に受け取った彼の功績が記されたバットは最初、名前のつづりが間違えたものだったが、すぐに名前を修正したバットを送ってくれた」 展示品の収集は、実は意外に難しいという。そのため、館長自ら全米や日本まで足を運ぶ。 「選手の中には、記念の品を自分でキープしたいという者もいる。プレーすることには一生懸命だが、野球の歴史に興味を持っていない選手もいる。だから協力的に記念の品を寄贈してくれる選手の存在は実に貴重。オオタニも我々の活動をよく理解し協力的だ。世界的スーパースターの地位を築いた彼は試合以外の場でも多くのことを求められ、多くの人が彼と会いたがってくると思う。それでも私が訪ねたときも殿堂に協力を惜しまず、会見にも同席してくれた。彼とは試合の準備があるのでじっくり話す時間はなかったが、とてもナイスガイだった」 大谷のホームランボールはファンが持ち帰り、競売に出品されるケースが多い。そうした現象を館長としてどう見ているのか。 「私はファンを尊重する。ファンがキャッチしてそれをキープする、あるいは売却すると決めたら、我々から言うことは何もない。ファンが自分や家族のために大金を得てそれで幸せになるならいいと思う。だが野球殿堂にとって、記念の品々はお金ではなく歴史。我々はお金を払って記念の品を得たことも、売却したこともない」 殿堂博物館に最も積極的に協力している選手といえば、マリナーズなどで活躍したイチロー氏もそうだ。 「イチローはデビュー当初のゆかりの品をいち早く寄贈してくれ、殿堂博物館に記念のものを寄贈することが重要なことだと感じてくれている。彼は本当に偉大な存在だ。日本のファンにとってだけではなく、米国のファンや野球ファン全体にとっても大きな存在。国境を越えて影響力を持っている。彼は米野球殿堂博物館に何度も足を運び展示された名選手ゆかりの品々を鑑賞することを楽しみ、野球の歴史を深く理解したいと望んでいる。殿堂に大変な愛情を持っているのだと思う。特別な存在だ」 来年1月には次の野球殿堂入り選出者が発表される。イチロー氏が選出資格1年目を迎え、資格者リストに載る年だ。 「選出者を発表するのは私の役割の1つ。開票はギリギリまでかかるため、私も誰が選ばれるかは前夜か当日朝まで知らされないこともあり、とても緊張する瞬間だ。イチロー自身は特別に意識せずその日を待ちたいだろうし、我々もそうしたい。だが彼は素晴らしいキャリアを築いたし、発表のときが楽しみでならない」 イチロー氏が日本人初の米殿堂入りを果たした次は、大谷に期待がかかる。その可能性はどうみているか。 「殿堂入りというのは、息長くプレーすることがまず最低限の条件になる。メジャーで10年以上プレーすることが候補入りの条件なので、まだ7年目のオオタニが10年以上たったときにどんなキャリアを築いているのか予想するにはまだ早すぎるとは思う。しかしここまでの彼がメジャーの歴史に刻んできた偉業は、間違いなく価値がある。歴史上で誰も成し遂げられなかったことをいくつも達成する彼は、見る者を圧倒する」 来季は投打の二刀流として復活し、また新たな記録を歴史に刻むことが期待される。 「オオタニはすでに多くのものを殿堂博物館に寄付してくれているが、何かを成し遂げるたびにその数は今後も増えていくだろう。オオタニが殿堂入りするとしたら、そのときは野球界が今よりもさらに発展し、世界的に広がっていてほしいと思う」 野球の歴史を見届け、その歴史を展示品という形で残していく。その仕事に対する思いは。 「殿堂博物館は野球のディズニーランドといえる場所。毎日館内を歩くと野球の歴史を肌で感じ身が引き締まる。その歴史を伝える役割を担える自分は幸運だ。私自身、実は日本人選手との関わりはツヨシ・シンジョウがジャイアンツに移籍した02年から。その後、複数の球団で広報担当となり日本人選手を間近で見てきた。今回はノモさんら多くの日本人選手から貴重な品を受け取った。彼ら選手との素晴らしいパートナーシップでこの企画展が実現することに感謝している」 日米野球交流の企画展は来年7月から開始予定。博物館3階の約167平方メートルの広大なスペースが日米の野球の歴史で彩られることになる。 ◆米野球殿堂 野球の歴史と野球界の偉人たちの功績を後世に伝えるべく1939年にニューヨーク州クーパーズタウンに設立。それより3年早く全米野球記者協会の投票者によって第1回殿堂入り選出が行われ、タイ・カッブ、ベーブ・ルース、ホーナス・ワグナー、クリスティ・マシューソン、ウォルター・ジョンソンの5人が史上初の殿堂入り選手となった。現時点で選手、監督、球団幹部ら346人が殿堂入りし、選手は273人。殿堂博物館には選手や記録的出来事のゆかりの品であるボールやバット、グラブ、ユニホームなど4万点以上が収蔵されている。 <米野球殿堂所蔵の主な日本ゆかりの品> ◆日米の野球交流の黎明(れいめい)期である1905年に早稲田大学野球部が米国に渡り交流試合を行ったときのゆかりの品。 ◆メジャーのオールスターチームが初めて来日した1907年の「日米野球」ゆかりの品と、ベーブ・ルースを含むオールスターチームが1934年に来日した際のゆかりの品。 ◆日本人初のメジャーリーガーとして64、65年にジャイアンツでプレーした村上雅則が当時使用していたグラブ。 ◆78年の日米野球でレッズのジョージ・フォスター外野手が着用していた帽子。 ◆ドジャース野茂英雄が96年9月17日、クアーズフィールドでのロッキーズ戦で、同球場で唯一となっているノーヒットノーランを達成したときに使用したボール。 ◆ヤンキース松井秀喜が04年3月28日に日本開幕戦前の巨人とのエキシビションゲームで本塁打を放ったときに着用していたユニホーム。 ◆マリナーズのイチローが04年10月3日、261本目と262本目の安打を放ちメジャーの安打記録を更新したときに着用していたシューズ。 ◆カブス今永昇太が23年WBCの米国との決勝で先発登板し勝利投手になった際に着用していた侍ジャパンユニホーム。 ◆ドジャース大谷翔平が24年3月にドジャースタジアムでの本拠地開幕シリーズで着用したユニホーム。 ◆大谷の日本ハム時代からメジャーの現在までに達成したMVP選出などの功績が記されたバット。