苦しかった時を経て――帰ってきた“日本のファンタジスタ”に漂う期待感「荒木にしかないもの」を見せつけたい【パリ五輪の選ばれし18人】
仲間のために走ることも厭わない
パリ五輪開幕まで約2週間となった。ここでは56年ぶりのメダル獲得を目ざすU-23日本代表の選ばれし18人を紹介。今回MF荒木遼太郎(FC東京)だ。 【PHOTO】悲願のメダル獲得へ!パリ五輪に挑むU-23日本代表18名とバックアップメンバー4人を一挙紹介! ――◆――◆―― ボールを持てば、決定的な仕事をしてくれるのではないか。荒木遼太郎は、そんな期待を抱かせてくれる“ファンタジスタ”タイプのプレーヤーだ。 東福岡高時代からテクニックは飛び抜けており、創造性豊かなプレーは世代でもトップクラス。同世代のフロントランナーとして年代別代表に継続して名を連ね、2018年秋にはU-17ワールドカップのアジア最終予選を兼ねるU-16アジア選手権(現・U-17アジアカップ)にも参加した。初戦で2ゴールを奪うなど、その実力をいかんなく発揮。だが、翌年11月の本大会では左膝の怪我の影響で出場できなかった。 ただ、才能は錆びつくことなく、プロの世界ですぐさま発揮される。20年に鹿島アントラーズに加入すると、1年目からJ1で26試合・2得点の成績。翌シーズンは36試合・10得点でブレイクを果たす。ベストヤングプレーヤー賞を受賞し、22年1月にはA代表候補合宿に初めて招集された。 トップ下で異彩を放つ荒木は、当然のように22年3月に立ち上がったパリ五輪を目ざす代表チームにも選出。しかし――。ここから想定外の道を歩くことになる。5月に腰を痛めて離脱すると、クラブで出場機会が激減。同年は13試合で2得点に留まり、翌年もコンディションが整わずに13試合で0得点だった。 腐りそうになる時期もあったが、そのたびにFW鈴木優磨やDF広瀬陸斗(現・ヴィッセル神戸)から「荒木にしかないものがあるから」と励まされ、来るべき時に備えて準備を進めてきた。 そして、24年シーズン。先輩のエールに応えるように、荒木は新天地で復活を遂げる。期限付き移籍でFC東京に加わると、開幕から4戦4発の大暴れ。慣れ親しんだトップ下など、よりゴールに近いポジションで起用され、相手の脅威になり続けた。 その活躍が認められ、24年3月に2年ぶりとなる大岩ジャパン復帰。「代表から遠ざかりすぎていたので、入れば良いくらいに思っていた」と本人も話していたが、3月25日のウクライナ戦(2-0)では4-3-3のインサイドハーフで躍動する。先発で起用され、持ち前のテクニックとアイデアで攻撃陣をリード。アピールに成功すると、4月中旬から5月初旬にかけて行なわれたパリ五輪のアジア最終予選を兼ねるU-23アジアカップのメンバーにも選出された。 立ち位置は攻撃の切り札。先発出場の機会は限られたが、自身に与えられた役割を全う。敗れればパリへの道が完全に閉ざされる準々決勝のカタール戦(4-2)。後半終了間際に投入されると、2-2で迎えた延長前半11分に完璧なラストパスでFW細谷真大(柏)のゴールを演出した。 そして、勝てば五輪出場が決まる準決勝のイラク戦(2-0)では先発に抜擢され、チームの2点目をマーク。決勝のウズベキスタン戦(1-0)では後半の半ばから出場すると、早々に顔面を強打して状態が危ぶまれながらも、後半アディショナルタイムに大仕事。鮮やかなヒールパスからMF山田楓喜(東京ヴェルディ)の決勝弾をお膳立てした。 苦しんだ時期も長かったが、自らの力で乗り越えて一回りも二回りも逞しくなった。以前はどちらかと言えば、チームよりも自分にフォーカスを当てるようなタイプでもあった。今は違う。持ち前の技巧でチームに貢献するだけでなく、仲間のために走ることも厭わない。言動も変わり、今では日本代表としての責任を口にするほど、より強く自覚するようになった。 本大会では劣勢の展開は必ず訪れるし、絶体絶命の状況に追い込まれるかもしれない。だが、日本には荒木がいる。大きな期待を背負い、パリに赴く。 取材・文●松尾祐希(サッカーライター)