タイでも通じる日本語「神推し」「特典会」、その理由とは?AKB48姉妹グループ・BNK48が歴史を変えた瞬間
バンコクの街中を歩けば、レコードショップで宇多田ヒカルやSPEED、YOASOBIのジャケットを見かけることも珍しくはない。日本のポップカルチャーはタイにおいて長年にわたり親しまれており、実際今のタイ音楽シーンの最前線にいるのは90年代に勃興したJ-POPブーム、さらにその後大人気となったK-POPに触れ育った世代だ。 【2億回再生】日本とひと味ちがう?タイの「恋チュン」MV タイポップス探検家・山麓園太郎氏は「T-POP(タイポップス)の起源は、洋楽とJ-POPそしてK-POPからの影響が従来のタイ歌謡を大きく変質させたもの」と語る。本稿ではその真意について、タイにおける90年代以降のJ-POPやK-POPブーム、そしてBNK48「恋するフォーチュンクッキー(คุกกี้เสี่ยงทาย)」のヒットにより起こったアイドルシーンの変化から捉えたい。
90年代以降の日韓カルチャームーブメント
タイにおける最初期の「日本的アイドル像」に近いT-POPアーティストは、90年代末に出現した。その代表格・NieceやProject Hが所属したDOJO CITYレーベルは原宿系ファッションと渋谷系音楽を取り入れた「新しいアーティスト像」を、自社のメディアミックス戦略でタイのティーンの間に浸透させた。 折からの日本カルチャーブームに乗り、渋谷系やJ-POPに限らずXJAPANやL’Arc ~en~Ciel などのJ-ROCKも流行したが、2000年代末には韓国カルチャーブームが起こり、それがK-POPに置き換わる。そしてこの時期、タイの大手レーベルGMMと人気を二分していたRS社がKamikazeレーベルを設立。SWEE:D、Kiss Me Fiveなどのガールズグループ、K-OTIC、XISなどのボーイズグループが次々デビューした。 GMMが多人数グループに積極的ではなくサウンドも洋楽志向だったのに対して、KamikazeはK-POPグループのf(x)やT-ARAを思わせる打ち込みのシンセポップサウンドとキレのいいダンス、当時のタイとしてはかなり煽情的な衣装などを特徴とした上で、タイ語の声調を生かすメロディも兼ね備えた親しみやすさからヒット曲を連発した。「T-POP」という呼び名がタイで一般的になったのはここ数年だが、すでに2010年代にはKamikazeによって現在のT-POPのフォーマットは完成していた、といえるかもしれない。