【バブル時代のJJ表紙モデル】はバブリーな生活をしていたのか聞いてみた|美ST
’86年12月~’91年2月と言われるバブル期に美容開眼した世代は今アラ還。アメリカンファーマシーで輸入コスメにときめき、デパコスの隆盛に驚いた、そんな、彼女たちの輝く今を支えるのは、それぞれのストイックな美容愛でした!今回は宮臺香惠さん(55歳)にお話を伺いました。
JJの表紙を飾ったモデルが今もキレイな理由
教えてくれたのは……レストラン・香味屋社長 宮臺香惠さん(55歳) 信じたら一途に美容も人生も同じです 合うと信じたら継続するのが信条。そんな一途さが昭和・バブル育ちの精神性なのかもしれません。特にボディケアは35年間いつも本気。18歳で出合ったクラランスの“アンティオー”がケアの概念を一新するような強烈な原体験となり、さまざまな商品を試した結果、“どれでお手入れするか”より“どう継続するか”が大切と気づきました。 毎日1万歩以上は歩き、内臓を活性化させて代謝を滞らせない自力ツボ押しをマメに行います。スキンケアは皮膚疾患で市販コスメを使えない期間も長かったのですが、50代に入りクレ・ド・ポー、そしてシナクティフシリーズに落ち着き、ここ数年はコツコツとお手入れを。仕上げは笑顔。顔は内面を映す鏡ですから、口角を上げる努力も欠かしません。
宮臺香惠さんはこんな人 撮影/与田弘志 1988年、慶應義塾大学2年生のとき、JJ1月号表紙に登場。 JJで唯一表紙を飾った(2回)読者モデルとして語り継がれている宮臺さん。当時は有名レストランのお嬢様、現在は4代目社長。 Q.1 バブルな武勇伝を教えてください 両親が厳しく大学卒業後はお堅い銀行に就職したので、メッシー・アッシーを顎で使う友人たちを異星人のように見ていただけでした。 Q.2 バブル時代に聴いたモチベアップ曲は? サザンオールスターズの「真夏の果実」 1984年発売の「ミス・ブランニュー・デイ」もカセットに入れていました。
宮臺香惠さんのバブル時代 19歳・渋谷の道玄坂下で。映画『トップガン』が公開されていた頃。