映画のパロディ化で話題になったものも…鉄道の「マナーポスター」の涙ぐましい努力の歴史
映画をパロディ化し話題となったマナーポスター
とくに話題になったのは、洋画を中心とするパロディ作品であった。たとえば、チャップリンがヒトラー風に扮した映画『独裁者』をモチーフとして座席の独占を揶揄したポスター「独占者」(1976年6月)がよく知られている。 また、マリリン・モンロー主演の映画『帰らざる河』をモチーフとした、傘の忘れ物を注意する「帰らざる傘」(1976年6月)も人気であった。10枚中7枚がその日のうちに盗まれるという人気ぶりで、新聞・雑誌でセンセーショナルな話題となっている。そのほかにも映画『スーパーマン』も複数回とりあげられている(1976年9月に2回・1977年3月)。当時の鉄道事業者にとって、マナーキャンペーンはともすれば反発をまねきかねないものであった。 きつすぎると「ろくなサービスもしないでマナーの押しつけはけしからん」といわれ、かといって誰の目にもとまらないようでは意味がない。そこで、洋画のキャラクターを用いたスタイリッシュで気の利いた表現が「目をひきつつ、反発をまねかない」ためのクッションの役割を担うことになった。持ち去りという皮肉な結果をもたらしたものの、ポスターのアート性の高さもそうした工夫のひとつであった。 1970年代のマナーポスターに頻出した洋画のキャラクターは、戦後すぐに交通道徳やエチケットのロールモデルとされたアメリカ将兵とは異なる。当時よく知られた洋画の知識を前提にして理解できるパロディであり、マナーを省みるきっかけとして目を引くために採用されている。そのため、マナーのロールモデルとはいいがたい。その一方で、盗まれるほど話題となっていたように、洋画のスターがマナーの存在を意識させるために有効だったことを示している。 また、同時期には邦画『男はつらいよ』の「寅さん」(渥美清)を用いて「下町の人情」をモチーフにしたポスターも作られている(1976年12月、1977年1月)。1980年代になっているが、マナーの重要性を訴える「親から子への手紙」という形式をとったポスターもある(1981年4月)。とくに「寅さん」をモデルにしたポスターでは「タンマ。他人は他人と言うけれどそれを云っちゃあおしまいよ。お互い人間どうしあったかくやろうよ。」とキャプションがついている。 同時期には歌舞伎(坂東玉三郎1977年6月)、落語(林家三平1977年5月)、相撲(北の湖1977年9月)のような伝統芸能に関係する当時の有名人やモチーフ、あるいは江戸時代の事象を用いた表現も多い。「家庭の延長」としての車内という論法はあまり使われなくなっていたが、メディア的に演出された伝統的な「家庭・地域」の「温かみ」の疑似的イメージを用いて、マナーを説得するものだろう。 こうした邦画・洋画のキャラクターや浮世絵などの伝統的モチーフは1980年代以降も定番の表現様式ではあるが、次第にすくなくなっていく。前章で述べたように、戦前日本においては鉄道の車内を「家庭の延長」と位置付け、疑似的な「内輪」を作るような秩序維持が試みられた。その後、日本の公共交通は、欧米という外部・他者をロールモデルにして、自立した個人と個人の関係を作ることで秩序維持をはかっている。 初期のマナーポスターにおける伝統芸能・邦画の有名人や洋画のスターを用いた表現は、そうした二つの説得の論法の延長線上にあるといえなくもないが、パロディ化されており、その意味はほとんど形骸化している。さらに、1980年代以降、そのように内部を延長したり、外部を召喚したりせずに、秩序維持を促す表現が営団地下鉄のマナーポスターに現れる。