高松塚古墳の木棺復元プロジェクトから考える 歴史研究における専門分野の協力関係とは?
歴史の謎を解明したり真実を解き明かしたりするには、さまざまな分野の学術研究の助けを借りなければならない。どれほど違う専門分野の研究が協力し合っているのだろうか? ■最新技術と多くの人の尽力で現代に甦った木棺 高松塚古墳の石室で発見されていた木片や飾り金具から、埋葬されていた棺が再現されました。先日拝見しましたが、長さが2mほどの重厚で黒光りのする立派な木棺が再現されています。 橿原考古学研究所が長年の研究の結果、わずかな出土品とこれまでの研究成果から推測をして完成させた実験的レプリカです。しかも今回は一部を、3Dプリンターを使って型取りしたというのです。私はいまだに3Dプリンターというものがよくわかりませんが、結構な硬度でさまざまな物を立体的に作り上げるもののようですね。 今回の棺は寄木材木(よせぎざいもく)で棺身を作り、何重にも布や漆を塗って整え、棺内部に水銀朱を塗って仕上げたそうですが、実に重厚で立派な物です。漆表面の艶の加減も考慮して適度な輝きを与え、金色の飾り金具などは3Dプリンターを駆使して作り上げています。しかも棺を乗せる金箔仕上げの格狭間(こうざま)台も作られていて、まさに高松塚古墳の壁画に見守られて安置された、レプリカとはいえ当時の情景をリアルに想像できる逸物です。この話だけでも歴史学にはさまざまな最新テクノロジーが不可欠になっていることがおわかりでしょう。 例えば発掘された弥生時代の土器片資料を調べるとします。研究者はその実物の写真を撮り、目で観察しながら図面を手作業で正確に取ります。今はリアルな3D画像もコンピューターに取り込んでいます。そしてもしも彩色のような痕跡があれば、蛍光エックス線分析装置などでその成分を調べます。さらに土器底に炭化した物が付着していれば、C14年代測定法(放射性炭素年代測定)で炭素の同位体の残りをカウントして絶対年代を推定します。近頃では炭素成分が無くとも、土を焼いたものであれば地磁気測定法で絶対年代を測定する技術も実用化されているそうです。 神社仏閣を解体修理したときや古代の巨木柱が地中から発見されたときなどに、その梁(はり)や柱、棟木(むなぎ)などに表皮が残っていれば、年輪年代法でその材木の伐採年が特定できます。 地中から出土した木棺などは、赤外線カメラで表面を探ると、肉眼では見えない墨書された文字が浮かび上がります。こうして発見された貴重な文字史料がいくつもあります。 埼玉県の埼玉古墳群の調査で出土した稲荷山鉄剣という錆びだらけの副葬品を、10年後にエックス線で撮影すると、金象嵌(きんぞうがん)の文字が浮かび上がりました。これには雄略天皇の当時の呼び名と考えられている「ワカタケル大王」という文字が刻まれていて大発見となりました。 土中から発掘された木製品には、木材に圧力をかけて樹脂を注入する保存法もあり、空気に触れるとたちまち劣化する文化財を守ります。 かつては人類学での古代人の研究は頭蓋骨の比較で分類していましたが、今ではわずかなDNAが採取できればゲノム解析で人類系統樹の枝分かれが詳細に判明します。アフリカにホモサピエンスが誕生して、ユーラシア大陸に広がる過程でネアンデルタール人やデニソワ人などと、どういう交雑をしてどんなDNAを受け継いできたのかなどもサンプルは少ないものの、徐々に判明しつつあります。それによってどんなルートで旧石器人が日本列島にやって来たのか、縄文人と現代人のつながりなども解明されつつあります。 これだけのことからも、歴史学・文化財学は文学部系の学問だけではなく、明らかに理工学部系の幅広いテクノロジーと最新の理論を必要とする研究だということが分かりますね。 これからは各地の出土品がBIGデータに収録されて、それをAIが体系的に分類し、それぞれの遺跡の関係性を発見するでしょう。そうなるとわが国に限らず、東アジア全体、いや世界全体の文明の関わり合いを、コンピューター技術を借りて解明することになるでしょう。
柏木 宏之