「ある国の役員が審判に贈り物を…」 男・山根明の息子が明かすボクシング業界の闇と「山根騒動」の裏側
ボクシング界の裏
初めて昌守氏がボクシング界の裏を見たのは00年のシドニー五輪だった。 「ある国の役員が審判に贈り物を渡し、談笑している現場を目の当たりにしたのです。さすがにショックでしたが、オヤジは“これが現実や。だから、世界をコントロールできるようにならんとあかん”と。そこから常に“選手はリングで、役員はリングの外で力を発揮するんや”と言われるようになりました」(同) こうして二人三脚で歩んできた親子だったが、実は昌守氏は“山根騒動”が本格化する少し前、明氏と衝突していた。以降、両者はギクシャクした関係が続いたという。 「17年当時、仲間内にクーデター派のスパイがいたのですが、私がオヤジにそれを指摘したら頭ごなしに否定され、なぜか怒られまでしてしまった。そこでお互いに“だったらもうええ”となりました。その後、会う機会がめっきり減ってしまったのです」(同) しかし、親子は心の底ではつながっていた。 「オヤジは亡くなる前、周囲に私と会いたいと言ってくれていたそうです。最後にありがとうと伝えられて心からよかった。私が今こうしてやれているのも、いろんな貴重な経験ができたのも、すべてオヤジのおかげです。滅茶苦茶でしたが、とんでもない大物だったと思います」(同) 「週刊新潮」2024年2月29日号 掲載
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