中島啓太が完全V王手 けがに泣いた夏、松山英樹の言葉「体に多少の痛みがあっても戦うのがゴルファー」で復活
◆報知新聞社主催 男子プロゴルフツアー メジャー最終戦 日本シリーズJTカップ 第3日(30日、東京よみうりCC=7002ヤード、パー70) 首位から出た昨季賞金王の中島啓太(24)=フリー=が3バーディー、1ボギーの68で回り、通算11アンダーで単独トップに立ち、大会9人目の完全優勝に王手をかけた。同じく初日から3日目まで首位を守りながら1打差2位だった、昨年の悔しさを国内メジャー初制覇で晴らす。1打差2位は片岡尚之(26)=CS technologies=とショーン・ノリス(42)=JOYXゴルフ倶楽部=。 18番で3メートルのパーパットをねじ込んだ中島は、ほえながら右拳を振り下ろした。9番で10メートルを沈め、13番ではグリーン手前からチップインバーディーを決めるなど「ストレスフリーだった」と評したラウンド。1打のリードを得て、昨年に続く最終日最終組に入った。「去年より落ち着いてプレーできている。最後まで冷静にプレーしたい」。ホールアウト後は、いつものポーカーフェースに戻った。 苦しい2024年の夏だった。「休むことが多かった。試合にたくさん出られなかったので、納得はいっていない」。今年から欧州(DP)ツアーに主戦場を移すと3月に初優勝した。華々しくスタートを切ったが、その後はけがとの闘い。1勝の喜びを、悔しさが勝った。日本ツアー2戦を含む20試合は、当初の予定を7戦ほど下回った。 6月に右足の母指球に違和感を覚えた。痛みは背中、腰へと広がっていった。7月の全英オープンを終えて一時帰国した翌朝、靴下をはくことさえできなかった。顔を洗う前傾姿勢も困難。2週後のパリ五輪では、日の丸のユニホームの下はテーピングだらけだった。「最終日はティーアップがつらくて、グリーン上でしゃがんでラインを読めなかった」ほどだったと明かす。 五輪後に3週間休み、5連戦のスケジュールを組んだ。「体はもう大丈夫だろう」と信じた。しかし復帰初戦で痛みが再発し、緊急帰国した。「ゴルフをしたくない」。そう思ったのは、中島の人生で初めてのことだった。心と体が整わない。もうシーズンを終えてもいいとさえ思った。 1か月後、中島はスペインオープンのティーグラウンドに立っていた。栖原弘和トレーナーと岡崎錬キャディーから「出てみたら?」と声をかけられたことがきっかけだった。悩んだ。同じ日本代表としてパリ五輪を戦い、銅メダルを獲得した松山英樹に相談した。「体に多少の痛みがあっても戦うのがゴルファー。行ってみてダメだったらやめればいいし、とりあえず行ってみなよ。行く価値はあると思う」。背中を押され、一歩を踏み出した。 結果は予選落ちだったが、「本当に出て良かった」。体への負担が少ない、バランスの良いスイングを取り入れるきっかけになる一戦になった。シーズン終盤は復調し、50人によるDPツアー最終戦に進出。7位フィニッシュで1年を終えた。DPツアーのレベルの高さを身をもって感じた一年だった。「行ってみて(来季も参戦する)DPに居続けることは大変なことだと思った。ゴルフがうまくなることは間違いない」 欧州でもまれ、東京よみうりに帰ってきた。今季国内でのプレーは3戦目。10月の日本オープンは、最終日にバーディーを奪えず6位に終わった。今週こそはの思いは強い。「応援に来てくれる友人や、お世話になっている人、ファンの方のためにバーディーを取りたい。自分のやるべきことをコツコツ積み重ねていけばいい」。表情には明るさが戻った。昨年は1打届かなかった完全優勝へ、自信をもって挑む。(高木 恵) ◆今大会で過去に完全優勝した選手(8人、11例) 杉原輝雄(65、70年) 河野高明(67年) 青木 功(79、83、87年※) 中村 通(84年) 尾崎将司(96年) 宮本勝昌(98年=プレーオフ) 片山晋呉(02年) 藤田寛之(12年) ※87年は降雪で2日間競技 ◆中島が勝てば達成する記録 ▼完全優勝 12年の藤田寛之以来となる大会史上9人目(12例目) ▼史上3人目の同一年、日欧ツアー制覇 3月のヒーロー・インディアンオープンに続く優勝なら、1978、83年の青木功、2016年の松山英樹に続く日欧両ツアーVの快挙
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