「いいんだな? 本当に無理なんだな?」日本シリーズ“未完の完全試合” ロッカーで中日エース川上憲伸が見た風景…山井大介が「なぜここにいる?」
「なぜここにいる?」川上が山井に歩み寄り…
やがて落合も入ってきた。選手の領域であるロッカールームにはほとんど踏み入ることのない指揮官がわざわざベンチからやってきて、森と山井のやり取りを見つめている。 ただならぬ緊迫感が伝わってきた。 落合はすぐにロッカーを出ていった。やがて森もベンチへと戻っていった。ただ、最終回のマウンドに立つはずの山井はそこに座ったままだった。 なぜ、ここにいる? 川上はそっと山井に歩み寄った。 「どうしたん?」 山井は川上に気づくと、力なくこう呟いた。 「交代です......」 耳を疑った。日本シリーズ史上初めての完全試合を目前にしている投手がマウンドを降りる。そんなことがあるのだろうか。そうだとしたら、何があったのか。 唖然として立ち尽くす川上に、山井は右手の中指を見せた。 「ちょっと指が......」
「自分だったら骨折していても投げる」
血マメができて、それが潰れていた。テレビ中継でもゲームの序盤から山井のユニホームに血がついている様子が映し出されていた。だが、同じプロの投手である川上には、この場合、それが降板の理由にはならないことが分かっていた。 〈森さんとどういうやり取りがあったかは分からないですが、自分だったらたとえ骨折していても投げる。何かアクシデントがあっても誰にも言わずに隠しておく。そう思いました。それを山井に直接言ってしまったのか、それとも自分の心の中で思っていただけなのか、そこは覚えていないんですけど......、山井の顔を見ていると、何か他人に言えないことがあるのかもしれないとも感じました〉 何があっても最終回のマウンドに立つべきだと義憤のような感情を抱く一方で、葛藤の跡をうかがわせる山井の表情を見ると、それ以上のことは言えなかった。 それから川上は、今からマウンドに上がる投手のことを思った。岩瀬である。登板指令を受けたときストッパーがどんな心境になるのか、その胸中は想像することができた。どんなに過酷なマウンドであろうと、託されれば上がるしかない。守護神が背負っている定めは、エースのそれとどこか重なるところがあった。 <第1回から続く>
(「プロ野球PRESS」鈴木忠平 = 文)
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