「いいんだな? 本当に無理なんだな?」日本シリーズ“未完の完全試合” ロッカーで中日エース川上憲伸が見た風景…山井大介が「なぜここにいる?」
中日ドラゴンズで監督を務めた8年間、ペナントレースですべてAクラスに入り、日本シリーズには5度進出、2007年には日本一にも輝いた落合博満。それでもなぜ、彼はフロントや野球ファン、マスコミから厳しい目線を浴び続けたのか。12人の男たちの証言から、異端の名将の実像に迫ったベストセラー『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著/文藝春秋刊)が、このたび新章の書き下ろしを加えて文庫化された。 新章「それぞれのマウンド」より、2007年日本シリーズ第5戦で8回まで完全試合を続けた中日の先発・山井大介の“世紀の交代劇”の舞台裏を紹介する。落合監督はなぜ完全投球の山井に代えてストッパー岩瀬仁紀をマウンドに送る決断をしたのか。そのとき、エースの川上憲伸は何を見たのかーー。<全4回の第4回/第1回から読む> 【写真】“消えた完全試合”のあと落合監督と握手する山井&飛び上がって喜ぶ岩瀬…落合博満の現役時代レアショットも!
エース川上憲伸がロッカーで見た風景
川上のキャリーバッグにはもうほとんど隙間がなくなっていた。マウンドの特性に合わせて球場ごとに使い分けているスパイクやランニングシューズ、イニングごとに着替えるアンダーシャツを一枚一枚たたんで収納しているうちに、試合は8回裏に入ろうとしていた。 テレビの中継画面は日本シリーズ史上初めての完全試合まであと1イニングと迫った山井の表情と、スタンドを埋めた観衆の熱狂を映し出していた。その異様な緊迫感はベンチ裏のロッカーまで漏れ伝わってきた。 このまま終わってくれーー。川上はそう祈りながら、最後のアンダーシャツをたたんでいた。誰かがロッカールームに入ってきたのはその時だった。川上のロッカーは一番奥にあり、そこからは出入口が正面に見える。何気なく顔を上げたエースは入室者を見て、唖然とした。 〈山井だったんです。僕しかいないロッカーに山井が入ってきて、自分の椅子に座った。こっちとすれば、え、これから9回始まるのに、こんなところで何やってるのって......〉 まもなく森が入ってきた。急ぎ足のバッテリーチーフコーチは山井の背中に向かって言った。 「いいんだな? 本当に無理なんだな?」 いつになく、森の声が切迫していた。 川上には何が起こっているのか理解できなかった。そもそもパーフェクトピッチングをしている投手とコーチがやり取りをしていること自体が考えられないことだった。 川上は5年前、巨人戦でノーヒットノーランを達成した。その試合で記憶にあるのは、イニングを追うごとにベンチの一番奥に座る自分の周りから人がいなくなり、やがて誰も話しかけてこなくなったことである。大記録を継続中の投手に近づかないのは暗黙のルールであった。だから森が今の山井に話しかけるとすれば、何らかのアクシデントがあったとしか考えられない。川上は見てはいけない場面を見てしまったような気がして思わず顔を伏せた。そして一度はたたんだアンダーシャツを広げると、それをもう一度たたみながら気配をうかがった。
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