大相撲の興奮、卓球の絆、まもなく移転でお別れ「愛知県体育館」60年の歩み
卓球が縁となった交流
愛知県体育館では、大相撲の他にも、数々の大きなスポーツイベントが開かれたが、何といっても卓球であろう。「ピンポン外交」発祥の地として知られている。1971年(昭和46年)3月から4月にかけて、第31回世界卓球選手権大会が開催されて、54か国が参加した。この中には、6年ぶりの参加となった中国の選手団がいた。当時は、米国と中国は外交で厳しく対立していたが、この大会の中で米国と中国の選手同士の交流があり、それをきっかけに、大会後には米国の卓球チームが中国に招待された。
「ピンポン外交」の聖地
さらに、この卓球での交流が発展して、翌1972年には米国ニクソン大統領の訪中が実現した。いきなり両国の接近が加速した。その後、1979年の歴史的な「米中の国交樹立」へとつながっていく。日本も1972年に、当時の田中角栄総理が中国を訪問して、周恩来首相と握手を交わす。日中国交正常化が歩み出した。こうした仲直りのきっかけが愛知県体育館での卓球大会だったことから「ピンポン外交」と呼ばれた。当時は「小さなボール(卓球)が大きなボール(地球)を動かす」という言葉も登場した。
記念モニュメントの思い
その「ピンポン外交」を記念して、体育館の西側にはモニュメントが設置されている。縦3メートル、横7メートルの陶板製で、日本と中国の両方に親しみのある水墨画のイメージになっている。日本、中国、米国の国旗をモチーフにしてピンポン球が弾んでいる絵も描かれている。そこに「平和」「友好」「愛」「夢」という文字が書かれているが、これは、日本と中国、両国の書道家によるものと紹介されている。モニュメントの前に立つと、あらためてスポーツを通しての交流の素晴らしさが胸に去来する。
熱きコンサートの思い出
大相撲や卓球など、スポーツイベントだけではなく、愛知県体育館では、様々なコンサートが開催されてきた。谷村新司さんが逝ったアリス、結成46周年を迎えたサザンオールスターズも、かつては第1競技場でライブを披露した。新しい愛知県体育館は、名古屋城の北側、名城公園内に建設中で、2026年(令和8年)に開催されるアジア大会の会場となる。メインアリーナの観客数は1万7000人と、現在の2.5倍ほどに広がる。横浜アリーナと同じ収容数であり、全国有数の規模となるため、スポーツ競技と共に、ここでのコンサート開催へも期待が高まる。 大相撲名古屋場所は、前売り段階で15日間のチケットが完売したそうだ。大の里らの人気ももちろんだが、歴史の長い現愛知県体育館に別れを惜しむ人たちが、大勢いることの証しだろう。節目を迎えるスポーツや音楽の歴史の舞台にふさわしい、熱い取り組みに期待したい。 【東西南北論説風(506) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
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