中尾彬さん、終活語っていた「ただ片付けようと思っただけ」自らデザインしたお墓は既に完成
映画、ドラマのほかバラエティー番組でも活躍した俳優の中尾彬(なかお・あきら=本名同じ)さんが心不全で16日に死去していたことが分かった。81歳だった。葬儀・告別式は妻の女優・池波志乃ら近親者で営んだ。 中尾さんは2018年に池波との共著「終活夫婦」が話題になった。同年6月には夫婦でスポーツ報知のインタビューに応じ、終活について語っていた。当時の記事を再録する。 2人が終活を始めた発端は、2~3年前に浮上したお墓問題だった。 池波(以下、池)「私たちは子供がいない選択をしたので、お墓はどこに入れてもらうか決める責任があった」 思ったら行動が早い2人。中尾さんがデザインしたお墓は既に完成した。その後、千葉のアトリエと沖縄のマンションを手放し、書籍、衣類など細々したものは業者に引き取ってもらった。 池「古書店の人も全部横で通じているから、神保町の一番動ける人を探した」 中尾さん(以下、中)「講談社よりも本持ってたんだよ(笑い)。そこから例えば料理、映画とか分野ごとに分けた。そうしないと価値が分からないから」 池「最近はよく業者さんから連絡が来るのよ。『ご不要な着物はありませんか?』『履かないお靴とかないですか?』って。自分で調べて、こっちから電話をかけるようにしているけど、二足三文ね。毛皮も買った時は何百万(円)でも、売ると2000~5000円」 当の本人たちは自分たちの行動を“終活”と意識していなかったが、昨年テレビ番組で自宅を初公開したことで注目を集めた。 中「終活という言葉も知らなかったね。就職活動のことだと思っていた。終活というと、縁起の悪い方にとっちゃう。そうじゃなくて俺たちは、ただ片付けようと思っただけ」 池「すごく反響があった。取材もいっぱい来て、『書籍化しませんか?』って」 身近なものを整理してみて気付いたことがある。 池「私たちより上の世代は『残しておいて何かあった時はこれを売りなさい』とか言っていたけど…」 中「そんな価値ないよ」 池「そうなの。それを理解し、現実を見ないといけない」 1978年に結婚。順風満帆な結婚生活を送っているように思えるが、2006年に池波が難病のフィッシャー症候群(目や手足が動かせなくなる難病)を、07年に中尾さんが筋肉の痛みなどを生じる横紋筋融解症と大病を患い、大変な思いもしてきた。相手や自分がいなくなる将来を想像することもあるという。 中「年中考えているね」 池「こればっかりは分からない。一番大変そうなことを教えたいのに覚えてくれない。洗濯機の使い方を全部書き出したのに、見ただけで『分かった』って」 中「いいよ、クリーニングがあるから」 決して悲観的にならず、前向きに生きる2人。今後の人生をともにどう歩むか。 中「秋の空みたいなもんでさ、真っ青な空に一つくらい形の良い雲。そんな人生ないかねえ」 窓の外をじっと見つめ、目尻を下げて言う中尾さんを横目に、池波は笑いながら夫の発言を補うように答えた。 池「『空気みたいなもんですよ』というのはなりたくない。ちゃんと刺激のある友達でいたい。オシャレして一緒にご飯を食べに行きたいとか、どうでもいい存在になりたくない」
報知新聞社