【ライブレポート】中田カウス「上方漫才協会」10周年の歩みを回想、せいやも感慨「歴史の上に立ってるな」
本日10月20日に東京・有楽町よみうりホールで「上方漫才協会 十周年興行」が開催され、終演後の囲み取材に上方漫才協会会長の中田カウスと、過去の「上方漫才協会大賞」各賞受賞者のアインシュタイン、コットン、霜降り明星、天才ピアニスト、もりやすバンバンビガロが登壇した。 【写真】「ぜーんぶ間違ってる」と粗品の発言を全否定する霜降り明星せいや 中田カウスは「早い10年でしたし、コロナ禍を挟んで、配信という新しい試みにもチャレンジすることになりましたけれども、そんなこと関係なく、次から次へと若い子が育ってきて、いろんな分野で活躍してくれているのは大変なことやなあ、と思いますね(笑)」としみじみ。「芸人としての足腰を鍛える場所としてよしもと漫才劇場を与えていただき、その若手を応援する意味で上方漫才協会大賞を設立しましたが、(若手たちが)ちゃんと答えを出してくれて大変うれしい」と笑顔を見せた。 続けてカウスは、「次の会長、よろしく」と初代「上方漫才協会大賞」大賞受賞者であるアインシュタイン河井に2代目を託そうとする素振り。河井が「え、え、え?」と狼狽し、「M-1も獲ってないですし……」と遠慮すると、カウスは「M-1も獲ってない、キングオブコントも獲ってない!」といきなりコットンにも矛先を向ける。驚いた2組に言い聞かせるように「一番どこが大事かというと、やっぱり舞台。今日も生のお客さんにあれだけ喜んでいただけたが、これはテレビではなかなかお届けできない」と話し、「よしもとというのは112年、劇場があって、お客様がいて、芸人がいてというこの関係を崩さずにきた。47都道府県にその街に見合う大きさの漫才劇場ができればうれしい」と今後の展望にも言及した。 改めて、河井は「組んで3年目くらいにこの賞をいただいて、それを機にお仕事をいただけるようになったので感慨深い。僕たち以降の大賞を受賞した後輩の子たちに負けないようにサボらずがんばりたい」と意気込み。稲田は「上方漫才協会大賞を1回目にいただけて、ほかの賞レースであんまり結果が出てないことがうやむうやになって、すごい助かります。初代、初代ですから! これからも隠れさせていただきます」と受賞に感謝する。この直後、カウスからの振りにうまく対応することができなかった一幕では、「師匠、お互いよくなかったです。がんばりましょ!」と責任を分散させて事なきを得ようとしていた。 霜降り明星は結成初期からよしもと漫才劇場および上方漫才協会のメンバーとして劇場に立ち続けてきた。粗品が「M-1グランプリで優勝するまでの過程とか漫才の成長には間違いなく上方漫才協会に身を置いて、舞台にたくさん立たせていただいたことがある。感謝していますし、もうちょっと活躍して上方漫才協会や漫才劇場のことをいつか実家と呼べるくらいになるまでがんばりたい」と語ると、「おおー!」と喜ぶカウスは「あとは挨拶ができるようになればなあ」と笑顔でチクリ。せいやは「漫才が人生の原点。ここに立ててることがうれしい」と述べ、カウスから「中田カウスのDNAを持つ男!」という言葉をもらったのが一番のできごとだったと振り返るが、カウスは「いや、みんなに言うてんねん!(笑)」と明かしてみせた。 昨年の大賞受賞者の天才ピアニストは「伝統を守ると共に、劇場から作れる新しいもの、若手の力を発揮したい」(竹内)、「女性にしか出せない漫才のしなかやな筋肉を山盛り付けて、ネタも、ますみ自身ももっとデカくなっていきたい」(ますみ)と力強くコメントする。もりやすバンバンビガロは、コロナ禍の中、劇場を支え続けた芸人に贈られる「劇場賞」を2023年に獲得しており、「僕、いていいんやっていう。曲芸なので、賞レースにはあまり出られない中、光栄な賞をいただいて、親戚中に言いました」と誇らしげで、コントが主なコットンも「いていいのか」と恐縮しつつ、西村は「いつか恩返ししたい」と頼もしい一言。きょんは「コントで女装をしていたら、鏡越しのカウス師匠に『キレイやなー……』と言っていただいた。これからもキレイな女性を演じようと心に決めた」と誓った。 大阪で腕を磨き、現在は東京に住まいを持ちながら全国で活動するアインシュタインと霜降り明星に大阪や劇場への思いを聞くと、河井は「すべてが劇場に詰まってる。劇場に育ててもらったし、現在進行系で育ててもらっている。劇場に恩返しできるように、東京で劇場以外のお仕事もがんばっています」。稲田は違う意見を言うのかと見せかけて、河井の影響を受けてしまったらしくまったく同じ内容の話を繰り返す。「劇場、めっちゃ好きです!」と簡素な言葉を言い放って締めた。 「シンプルに劇場は大好き」という粗品は、「より人が集まるし、霜降り明星の周知につながるという自然な流れで今は主に東京で漫才していますが、月に何度かは大阪の劇場に立つ。霜降り明星が育ったのは間違いなく大阪の劇場のおかげで、その事実は変わりません。若手のときのよしもと漫才劇場での経験や思い出は宝物みたいなもの。相方も思っていると思うんですけど、2人で大阪の劇場も守っていけたらと思っています」と思いを吐露するが、せいやは「ぜーんぶ間違ってる! 取り乱してんのか?」と全否定。やはり同じ考えだったと訂正しつつ、「我々、出身も大阪なので地元でもある。この大阪のお笑いの風土で漫才できている、師匠たちがまだいるその場所で自分たちも漫才できているっていうのは、感慨深い。漫才を1本1本するたびに、歴史の上に立ってるな、という感じ」と話し、「このコメントは太字でお願いします」とアピールした。