小泉今日子、10代に戻れるなら「もうちょっと一生懸命勉強したい」 揺れ動く芸能界の変化を語る「この痛みは希望」
■ひとりではたどり着けないところへと導いてくれる“対話” 芸能界の変化に希望を感じる**
そんな、まだうまく言葉にできないけど心に抱えているものを表現するためには、どうするべきか。書籍の中では、永井氏による、参加者の問いをきっかけに「これってどういうことなんだろう」ということを掘り下げていく取り組み「哲学対話」が紹介されている。小泉自身も、人と話すことで「自分だけが一人で考えているところ時とは、全然違うところにたどり着かせてくれる」経験があった。「10代、20代の時から大人の人に囲まれた環境でした。その中でも、すごく気が合うなと思える大人の方がいて。その方は、ご夫婦で、よくご自宅で夜遅くまで、暖炉の前に3人で火を見ながら、私のことを子供扱いしないでいろんな話をしてくれていたんです。そういう中で、自分の考えも広くなっていきました」。 最後に、42年間駆け抜けてきた芸能の世界の変化について質問を投げかけてみた。「私は長い間大きな事務所にいたんですけど、どこかに属している時には、そこにはちゃんとルールがあって、そのルールの中でかいくぐって、面白いことを見つけるみたいな、そんなことをずっとやってきた気がするんです。それはそれで楽しかったと思う。だけど、50手前、40代でそのルールをかいくぐるより、もうちょっと先に行きたいなって。でも、今やらないともう死んじゃう年齢的にと思って、独立しました。独立してよかったなってすごく思うのは、やっぱり前よりずっと個と個で、誰とでも話ができることです。私たちのような、芸能の世界で、出る側の人間は、個を表現する場所というのが、あまり求められなくて。マネージメントみたいな人が間に入っちゃうから、そこの成長が遅れちゃうみたいなところがきっとあったりする気がします」。 その上で「それはなぜかといえば、やっぱり構造がおかしいんだと思うんです。海外などでは、アーティストがエージェントを選んで、アーティストの方がパーセンテージを渡す…みたいなことが、もうすでに行われていたりとかする。だけど、日本は事務所に所属して、事務所がオーナーで、契約しているアーティストがいるっていう状態だから、事務所が権力になっちゃった」と指摘する。そして、自身の経験も引き合いに、やさしさと強さが伴った言葉が返ってきた。 「アーティストだけじゃなくて、テレビ局とかマスコミの人に対しても、事務所が権力になっていっちゃったっていうのを、なんとなく私は見て育った感じはあるんです。だから、できるだけ自分は直接いろんな人と話をしようって思いながら、所属していた感じはあります。それで、いろんなことが難しくなっちゃって。だけどそれって、本当はそうあるべきじゃないから、どっかで崩れちゃうんだろうなって、ゆらゆらしてたんだろうなっていうのが今…という感じですかね。それが、ちょっとほころび始めてるみたいに感じます。何かが変化するときって、絶対に痛みを伴うと思うけど、この痛みは希望だとみんなが思えば、きっともっとよく変われるんだろうなっていう感じがします」。小泉今日子は、きょうもあしたもあさっても「希望」を持ち、自身の“物語”を紡いでいく。 【小泉今日子】 神奈川県生まれ。1982年『私の16才』で芸能界デビュー。以降、歌手・俳優として、舞台や映画・テレビなど幅広く活躍。2015年より代表を務める「株式会社明後日」では、プロデューサーとして舞台制作も手掛ける。文筆家としても定評があり、著書に『黄色いマンション 黒い猫』(スイッチ・パブリッシング/第33回講談社エッセイ賞)、『小泉今日子書評集』(中央公論新社)など多数。