「迷ったり悩んだりしたときは」“禅の力”に頼ろう ちょっとした不満も心の持ちようで何とかなる
しかし逆らおうと、どんなにジタバタしても、「無常」の流れを変えることはできません。それは真理だからです。ですからまずは「無常」を受け入れましょう。その流れのままに身を任せるのです。 そうして「諸行無常。いいことも、悪いことも、いつまでも続かない」と考えを切り替えた瞬間、物事はいい方向に向かっていきます。と同時に、いいこと続きで有頂天になることも、不運続きで落ち込むこともなくなります。心が穏やかになるのです。
「真玉泥中異(しんぎょくでいちゅうにいなり)」――「落ち込むのは後回しにせよ」という禅の教え 「本物の宝石は、たとえ泥のなかにあっても、その輝きは失われない」と説くこの禅語から受け取るべきメッセージは、「私たち1人ひとりが持っている本来の輝きは、どんな状況でも色褪せることはない」ということです。 いま置かれている状況に不満がある人は少なくないでしょう。わが身の不運・不遇を嘆く人もおられるかと思います。
けれども、それによって「自分はダメ人間だ」などと落ち込む必要は、まったくありません。 誰もが内包している「仏性(ぶっしょう)」は、どんな状況でも常に輝いているのです。落ち込むのは後回しにして、いまこの瞬間、自分には何ができるのかを考えましょう。 そういう姿勢で目の前のことに力を尽くせば、やがて状況が好転し、自分本来の輝きが“目に見える形”で蘇ってきます。自己嫌悪に陥りそうになったら、ぜひこのことを思い出してください。
■自分は唯一無二の存在 「山是山 水是水(やまはこれやま みずはこれみず)」――「あなたは誰とも比べようがない」という禅の教え 山は水になれないし、逆に水が山になることはできません。山が山としてあり、水が水としてあるからこそ、自然は調和が取れているのです。 人間もそう。自分に本来備わっている個性に従って、自分がやるべきこと・やりたいことをする。それが、自然と調和して生きることにつながるのです。 そういった観点に立つと、ほかの人と自分を比べてうらやんだり、妬んだり、自己嫌悪に陥ったりするのは自然の摂理に反しているといえます。
高尾山が富士山を見て「いいなあ、背が高くて、姿が美しくて」と妬んだりしないでしょう? 人の優れているところばかりに目がいくと、自分にしかない長所や、自分にしかできないことを見いだす目が曇ります。結果、自分らしい生き方を見失うのです。 もう比較するのはやめましょう。妬みが消えたとき、自分は何が得意で、何が苦手なのかがはっきり見えてきます。 あとは、自分の得意にフォーカスするのみ。 苦手なことは得意な人に任せればいいのです。そうすれば、自分の持つ“山は山、水は水”的な個性を際立たせて生きていけます。
枡野 俊明 :「禅の庭」庭園デザイナー、僧侶