【訃報】「親子でブレイキングダウンに出るのが夢でした」むらけんが父・須藤信充に追悼の言葉「人生を変えてくれた父に感謝でいっぱいです」
元プロキックボクサーの須藤信充が、2024年9月17日(火)午後10時半、脳溢血などが原因で首都圏の病院で亡くなった。53歳だった。 【写真】1998年9月、かつて同じジムの後輩だった小林聡(右)とK-Uライト級王座を懸けて対決した 須藤は、高校時代に士道館飯島道場に入門し、フルコンタクト空手とキックボクシングを修練、1988年、MA日本キックボクシング連盟よりプロキックボクサーデビュー。翌年、MA日本バンタム級新人王を獲得。 東京北星ジムに移籍後、全日本キックボクシング連盟で全日本ランカーとして活躍しつつ、途中、プロボクシングに転向。JBスポーツクラブに移籍し、東日本ボクシングライト級新人王トーナメントで準優勝。その後、神武館からキックボクシングに復帰し、全日本ライト級王者となり初戴冠。 所属ジムの団体移動に付随してキックボクシング・ユニオン(K-U)に移り、K-Uライト級王者に認定される。その後、K-Uが賛同するNKBに参戦し、NKBウェルター級王者に続きNKBミドル級王者となり同時2階級制覇を達成。 そこから当時ブームとなっていたK-1 WORLD MAXへの参戦を熱望。その流れでRISEに参戦したが、急激な階級アップや故障が祟り連敗の中、2008年の全日本キック連盟参戦が最後のキックボクシングとなった。 同年、極真空手道連盟極真館第7回全日本ウエイト制空手道選手権大会で重量級トーナメントで優勝。これは顔面攻撃ありのフルコンタクト空手となるが、キックボクシング、ボクシング、空手でそれぞれ好成績を記した形となる。 立嶋篤史、金沢久幸、小林聡、尾崎圭司、天田ヒロミなど多階級に渡り有名選手と激戦を繰り広げ、また、“ハイテンションの天才”“怪物”と称される才能と独特の明るいキャラクターが特色の特異な名王者で、スカパー格闘技専門チャンネル「FIGHTING TV サムライ」の番組「キックの星」で特集された連載コーナー「天才!須藤信充通信」は人気を博した。 2023年、埼玉県久喜市にジーニアスジムを設立。息子の村松健太(リングネーム:むらけん)が全日本キックボクシング協会からプロデビューするなど活動していたが、同年、脳梗塞で倒れて活動を休止。その後、本年9月18日、帰らぬ人となった。プロキックボクシング戦績:38戦26勝(17KO)10敗2分、プロボクシング戦績:10戦8勝2敗。 息子のむらけんこと村松健太は「親子でブレイキングダウンに出るのが夢でした。毎日、朝から深夜までベストキッドのように破壊力のあるパンチやディーゼルノイのような膝蹴りもワンツーマンで教えてくれました。子供の頃、後楽園ホールでみたパパの圧倒的な試合は今でも忘れられません。まさかその20年後、僕も同じリングに上がることができたのは感慨深かったです。人生を変えてくれた父に感謝でいっぱいです。 父のジム、『ジーニアスジム』も盛り上げ、天才の意志を継ぎます。親孝行できるように精一杯頑張ります。パパみててね!」と追悼の言葉を寄せた。 通夜は9月21日(土)18:00より、告別式は22日(日)9:30より、さがみ典礼サイカンホールプリエ久喜(埼玉県久喜市久喜中央4-9-51)にて行われる。
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