新人から23年連続勝利 「心の友」が明かすヤクルト44歳左腕の知られざる素顔
ヤクルト・石川雅規(44)が入団1年目から史上初となる23年連続勝利を達成した。9年来の付き合いで、左腕が「心の友」と慕う整体師の岩田雄樹氏(44)が「まーくん」の知られざる素顔を明かした。(取材・構成=長井 毅) 石川との出会いは2015年。かつてヤクルトに所属していた相川亮二(現DeNAディフェンスチーフ兼バッテリーコーチ)を介して、2月の沖縄・浦添キャンプ中に施術をしたことをきっかけに、自身が経営する店舗に通ってくれるようになったという。次第に相談にも乗るようになった。 「6年くらい前かな。ウチの店で施術するようになった頃。チームの最年長になったあたりで、若い子たちからは恐縮されるというか、偉大だから、ちょっと距離のある存在になっていた。彼はそれを笑い混じりで悩んでいた。『後輩たちは遠慮して絡んでこない』といったふうにね。僕も会社を経営していて、若手の従業員の僕に対する態度を見ていたら共通する部分も多くて気持ちがわかった。だから、『向こうから来るのを待っていたら、来ないよ。自分から行こう』ってアドバイスしました」 石川が後輩との距離感に戸惑いを持っているという話を、かねて施術を担当していた小川泰弘に「まーくんが選手間のコミュニケーションで結構悩んでるよ」と相談すると、「小川は『じゃあ自分が殻を破ります』とか言って、それまで『石川さん』だったのが『まーくん』って呼ぶようになった。(石川は)それがうれしかったみたいで、2人も前よりも仲良くなったみたい」。悩みを一つ“解決”したことで、急速に距離も縮まっていった。 186個の白星を積み上げてこられた理由の一つに故障の少なさを挙げる。通常の投手にはない体のつくりに驚かされたという。 「肩甲骨がすごく硬くて、両手を背中の後ろでつけようとしても、腕が回らないくらいなんです。他の投手陣の皆は手がちゃんとつくんですよ。だけど、肩甲骨が柔らかいから良いってこともない。僕も昔は知識も薄くて『硬いよりも柔らかい方が絶対いいでしょう』って思っていたんだけど、まーくんの体を見て一概には言えないんだなって教えてもらった。あれだけ硬くても、『肩肘が痛い』とかはあまりないですし。投球フォームも“自分の形”を確立しているから故障もないんだと思います」 自分の限界に挑戦し続けてきた鉄腕も時には“弱音”を吐くことがあるという。 「ここまで長く野球が続けられている理由の一番は野球が本当に好きということ。周りの人が『ベテランでここまで投げられてすごいね』って言われると、その期待に応えようと思うんだろうね。でも、ここ3、4年で『今年駄目だったら辞める』ってずっと言ってるんですよ。シーズン中も勝てなくなると、冗談半分だと思うんですけどね。僕はその度に『自分で限界を決めちゃ駄目! 辞めようと思えばいつでも辞められる』ってハッパを掛ける。僕が言ってることが奥さんの言葉とかぶるらしくて『それ、嫁も言ってたわ』ってハッとさせられるみたい」 岩田氏がうれしそうな笑みを浮かべながら見せてくれたのが、石川から贈られたミズノ社製のミット。キャンプ前の1月末には一部投手陣の自主トレを手伝い、ブルペンで球を受けることもある。数年前まで使っていた自身のミットがボロボロになったことで、石川を介して購入しようとした。 「ミット買いたいからちょっと頼めないかな? もちろんお金は払うからって言ったら『いいよ。色とか任せてもらっていい?』って」。数か月後に届いた完成品を手渡されると、金色の刺しゅうで『KAMIYUBI IWATA』(神指・岩田)と店舗と名前が入ってあった。 ミットの内部には家族を意味するトランプも刺しゅうされていた。石川の長男・大耀(だいや)さんと次男・栄寿(えいす)さんの2人を表す「ダイヤのエース」と、聡子夫人を表する「ハートのクイーン」だった。 「本当に捕りやすいんですよ。長く現役でいてもらって、まだまだこのミットでまーくんの球を捕りたいです」。ミットを手で鳴らしながら、更なる活躍を願っていた。 ◆岩田 雄樹(いわた・ゆうき)1979年6月19日、新潟市生まれ。44歳。東京学館新潟高卒業後に、社会人野球チームに所属するも、ヒジを故障し、20歳で現役を引退。22歳からトレーナーの道を歩み始める。IBS(Iwata Body Shedding岩田流特殊指技)を開発。一般社団法人・日本ベーシックボディーケア協会(JBBCA)を設立、代表理事を務める。神指一門(https://www.kamiyubi-honten.com/)の代表としてフランチャイズとして札幌、東京、大宮、兵庫、広島、福岡の6店舗を展開。今後は仙台、宮崎、沖縄にも展開予定。
報知新聞社