坂本龍馬は本当に「世界に開かれた男」だったのか? 多くの人が知らない「意外な実像」があった…!
「日本を洗濯する」ってどういうこと?
日本とは、いったいどんな国なのか。日本社会が混乱しているように見えるなか、こうした問題について考える機会が増えたという人も多いかもしれません。 【写真】1864年の「下関戦争」、その「驚きの様子」 現在の日本をとらえるために、近代日本の起源と位置付けられることの多い、明治維新や幕末史について知っておくことにはおおいに意味があることでしょう。 幕末史については、さまざまなアクターが入り乱れる複雑怪奇な時代というイメージを持っている人も多いかもしれません。しかし、そんな時代を驚くほどクリアに解説してくれ、数多くのあらたな知見を授けてくれる本があります。 『攘夷の幕末史』という本です。著者の町田明広さんは、幕末史を専門とする歴史学者で、神田外語大学教授。 本書は、「攘夷」という考え方に焦点をあてながら幕末史を見ていくという内容です。特徴的なのは、従来の一般的な見方であった「公武合体vs.尊王攘夷」という対立図式を批判しつつ、〈本書で主として扱う文久期(一八六一~一八六四)といえば、例外なく日本人すべてが尊王であり、攘夷であった〉という見方をとる点。 たとえば、海外とのひらけた関係を構築していくことを模索していたというイメージを抱かれがちな坂本龍馬も、じつは「攘夷」的な思想をもっていたといいます。同書より引用します(読みやすさのため、改行を一部編集しています)。 〈当時の日本人がすべて攘夷派であるということに、疑問を持たれる読者も多くおられるだろう。たとえば、坂本龍馬である。龍馬は貿易結社である世界の「海援隊」を組織し、貿易による五大洋の覇者をめざしており、外国とは和親を第一とする平和主義者ですらあるというイメージが作られている。 その龍馬のもっとも有名な言葉は、「日本を今一度せんたく(洗濯)いたし申し候」ではなかろうか。これは文久三年六月二十九日に書かれた姉・乙女宛の手紙の一節である。薩長同盟の立役者とされ、明治維新を導いたと描かれる革命家・龍馬の面目躍如たる名台詞であり、颯爽とした龍馬像と結びつき、まさに金言として受け入れられている。 しかし、実際には、龍馬は孤軍奮闘して攘夷実行に邁進する長州藩に敬意を払い、また、敵艦の逆襲を受けている状況に同情を寄せていた。そんな事態を傍観し、よりによって外国と内通して船の修理までおこない、長州を砲撃させていた幕閣(これは龍馬の誤解であったが)に対する怒りの言葉が、この言葉なのだ。 じつはその金言の前に、「右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺」とある。龍馬の「洗濯」とは、攘夷を実行せず、こともあろうに異人に内通する姦吏(=幕閣)を一掃するということだった。つまり、龍馬もまた攘夷主義者であり、その感情は終生変わっていないのだ。当時の日本人は、我が国は世界の中心で、あらゆる面で一番でなければならないと考えており、また、それが常態であるとの認識がある。その思想の表層的な現象が、まさに攘夷と言えよう。〉 いかに「攘夷」の雰囲気が当時の日本を覆っていたかがひしひしと伝わってくる一節ではないでしょうか。 * さらに【つづき】「幕末日本の対立構図は「尊王攘夷vs.公武合体」ではなかった…イメージをくつがえす「専門家の見方」」では、幕末の「攘夷」のあり方についてよりくわしく解説します。
学術文庫&選書メチエ編集部