【追悼’23】鮎川誠さん「死ぬまでロックをし続ける」最後の瞬間までかき鳴らし続けたギター
ミュージシャン・鮎川誠さん(享年74)がすい臓がんのために亡くなったのは1月29日のことだった。2月4日には都内の葬儀場で「ロック葬」が営まれ、鮎川さん自身が生前に選曲したという自身のロックナンバーが大音量で流れる中、関係者やファンなど約4000人が別れを惜しんだ。 【画像】自宅ソファーでくつろぐ鮎川誠さん 鮎川さんは’70年から博多で後の「めんたいロック」の先駆けとなるバンド・『サンハウス』で活動、解散後の’78年に妻のシーナさんとともに『シーナ&ザ・ロケッツ』を結成して活動拠点を東京に移した。その後、シングル『ユー・メイ・ドリーム』が大ヒットし、一躍全国区に。特に鮎川さんのシンプルながらもダイナミックなギターは広く評価され、『YMO』のアルバムやライブにゲスト参加したり、海外アーティストと共演することも多かった。 ’レジェンドでありながら、鮎川さんは常にロック界をけん引し続けてきた。’15年に妻のシーナさんを失ってからも、それは変わらなかった。コロナ禍の’20年6月の『FRIDAYデジタル』の電話インタビューでは、4月以降のツアーをすべてキャンセルして犬の散歩以外は一切外出していないことを明かしていた。だが、その一方でコロナ禍がミュージシャンから音楽まで奪っている現状について、こう語っていた。 「音楽や演劇は、人に集まってもらって成立するライブ。今は音楽だけでなく、すべてがてんてこ舞い。『コロナがはよ、退散するように』ち祈るしかない。ライブハウスも閉めるところがあって、辛いよね。なんとか、持ちこたえて欲しいと願ってる。 音楽仲間やライブハウスのスタッフ達ともやり取りする中で、『お互いに元気でおろう。READY TO ROCK』。お客さんの安全を一番に考えなきゃならんが、ライブが再開したらたとえ3分の1のお客さんでもやりたい。すぐ“ぶっ飛ばすぞ”ち思うとる」 「大声を出さなくても、みんなの心や生活の中に音楽がある。ロックは素晴らしい。元気を出させてくれる。ぜひ日頃、時間がなくて聴けなかったロックを存分に聞いて欲しい。音楽でエネルギーをチャージして欲しい。ロックは心のワクチンやから」