【追悼’23】鮎川誠さん「死ぬまでロックをし続ける」最後の瞬間までかき鳴らし続けたギター
「ぶっ飛ばすぞ」という言葉通り、鮎川さんはコロナが落ち着き始めた’21年からライブ活動を再開。本格的にコロナ明けとなった’22年はさらに多くの本数のライブを行う予定だった。しかし、5月にすい臓がんであることが発覚、余命5カ月と宣告された。だが、鮎川さんはがんであることをバンドメンバーにも言わず、ステージに立ち続けた。ハードなスケジュールを毎回こなし、沖縄にも行った。時には3時間のライブをこなすこともあったという。 「ライブが生きがいだからやりたい」そんな鮎川さんの言葉を3人の娘さんたちも聞き入れるしかなかった、と長女である陽子さんは’23年3月の本誌のインタビューで語っていた。 「父は病気のことは誰にも言いたくなかったんです。自分はお客さんを元気にする存在だから、お客さんには心配かけたくないって。死ぬまでロックをし続けるって言っていました。治療も抗がん剤はやらなかった。病気のことを知った時点で、半分は覚悟していたんだと思います」 鮎川さんがドクターストップでライブをキャンセルすることになったのは12月31日。その直前、19日までライブをやりきった。この年にこなした本数は43本と74歳としては驚異的な本数だった。 自宅療養に入った鮎川さんだが、2月のライブまでには回復するつもりだったようだ。自宅でもギターを弾いたりパソコンで選曲をするなど、普通に過ごすことも多かったという。だが、病魔は着実に鮎川さんの体を蝕んでいた。自宅療養に入って約1ヵ月後、ついにそのときは訪れる。 「父がベッドで朦朧とした状態になり、どんどん死が迫ってきているときに、『シーナ&ザ・ロケッツ』のCDをかけていたんです。昔のライブ盤で、ちょうど母のシーナがメンバー紹介をしているシーンでした。 父は目を瞑っていたんですが、よく見ると左手がギターのネックを持つような形になっていて、右手でかき鳴らすようにこう……それを何度も繰り返してやっていた。父は最後の瞬間までライブでギターを弾いていたんです。大勢のお客さんの前で、きっと母も近くにいて、幸せな気持ちで……」(陽子さん) 今もきっと天国でシーナさんとライブをしているのだろうか。冥福を祈りたい。
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