生誕90年。「笑いは人間がつくるしかないもの」といった井上ひさしの創作論
「明日命が終わるにしても、今日やることはある」という考え方
僕の芝居は、いろいろなテーマが見え隠れしていると言われます。社会主義とか資本主義とか宗教とか、芝居のテーマにはいろいろありますが、すべて誰かが頭の中で考えたことであって、本当にリアルなのは、現実しかありません。 誕生し、成長して、年を取って、病気になるか老いて死んでいくこと......リアルなものはそれしかないのです。小説や芝居には、そういうことが全部書いてあります。だから、その年なりに、その時々によって読むべき小説、見るべき芝居というのがあるのだと思います。 本を読むことと、ビジュアルで見てしまうことを比べると、想像力がまったく違います。そして本は漠然とは読めません、集中が必要です。僕はそうして今も本を読み続けています。 チェーホフを主題にした芝居も書きましたが、彼は44歳で亡くなるまで、20年間ずっと結核と友だちになりながら、膨大な仕事をしていました。そういう生き方をチェーホフの作品から、チェーホフの実人生と重ね合わせながら見ていくわけです。 そこからは、「人はいつ死ぬかわからない、しかし、明日命が終わるにしても、今日やることはある」ということがよくわかります。そういう意味では、文学作品とは、生きる上での相当な導きのお師匠さんになるのではないでしょうか。 たとえば、何人かで同じテレビドラマを見たとしても、深く受け取る人もいれば、ストーリーだけ追っていく人、俳優を見ている人もいます。若者をはじめとする本離れが問題視されていますが、それも同じで、それぞれの覚悟と受け取り方によるでしょう。 時代が違えばそれはそれでいいのかなと。僕はそう思っています。
井上ひさし(劇作家)