「ワクワクするバカが現れたな」オードリー若林がバッテリィズに名コメント…M-1“松本人志不在が話題にならなかった”新審査員9人チーム「スキのない採点」
結果的に「審査員に注目が集まらなかった」
大規模なお笑い賞レースで審査員を経験していないのは若林だけだった。しかし、若林は審査こそ初めてであるものの、テレビタレントとしての実績は十分である。 2008年の『M-1グランプリ』で準優勝して以来、毎年のように「タレント番組出演本数ランキング」で上位に食い込むような活躍を続けており、審査員という大役を任されても、今さら緊張したり動揺したりする心配はない。5名の審査員はいずれもどっしり構えていて、落ち着いた態度で自分なりの基準で冷静に審査を行っていた。 その結果として何が起こったかというと、今年の『M-1』は近年では最も「審査員や審査に対する賛否の声」が出てこない大会となった。SNSなどでも、新しい審査員に対する否定的な意見はほとんど見られないし、それ以外の審査員についても同様だ。 今年は、何かと物議を醸しやすい立川志らく、山田邦子のような漫才を専門としないタイプの審査員がいなかったし、松本人志、上沼恵美子のようにその一言一句に注目が集まるような圧倒的な権威を持つカリスマ審査員も不在だった。だからこそ、審査員に注目が集まらなかったという事情もある。 審査員や審査についてあまり何も言われていないというのは、今年の『M-1』が大成功した証である。なぜなら、漫才の大会である『M-1』において、審査員はあくまでも裏方のような存在であり、主役は出場する漫才師や彼らが演じる漫才そのものだからだ。 個人的には、『M-1』の後で誰が何点をつけたかということをあれこれ細かく分析したり、一つ一つの審査コメントについて深読みしたりすることがあまり好きではない。「審査員を審査する目」でこの大会を見ること自体が、それほど意義のあることだとは思えないからだ。
若林と柴田の“名コメント”
強いて言うなら、新審査員の柴田と若林の「語り口」が見事だと思った。柴田は独特のフォーマットを持つジョックロックの漫才について「型がある漫才って少し読めちゃうから、そこが枠からはみ出ることがあったら、さらにいい漫才になるんじゃないかなと思いました」とコメントした。このようにプロならではの技術的な指摘をしている場面が多かったのだが、終始前向きな明るいトーンで話をしていたので、言葉が重く聞こえない。 若林はバッテリィズの漫才について「小難しい漫才が増えてくる時代の中でワクワクするバカが現れたな、と思って。日本を明るくしてくれそうで。あと、寺家さんが漫才のリズムをキープする腕もたしかだな、と」と語った。 ボケ担当のエースの強烈な「おバカキャラ」が印象的なバッテリィズに関して、そのストロングポイントを押さえつつ、ツッコミ担当の寺家の技術も称賛した。理屈と感情のバランスが良く、落ち着いた口調で素直な驚きや喜びを表現する若林の語り口には、お笑い界の先頭集団を走る人間としての余裕と貫禄を感じた。 プロ中のプロである9名の審査員が、与えられた役割をきちんと果たした結果、いつになく審査が注目されない大会になった。ついでに言えば、松本人志の不在について気にする人がほとんどいなかったのも、大会そのものが盛り上がった証である。20回目の『M-1』は、混じり気のない純粋な漫才の大会としてこの上ない見事な内容だった。
(「Number Ex」ラリー遠田 = 文)