エッフェル塔×「昭和の日本人」=『シン・エヴァンゲリオン』!? 刷り込まれた「パリへの憧れ」
庵野秀明の心の中の風景
そんな記憶を思い起こしながら、再び、『シン・エヴァ』のパリ風景に戻ろう。庵野秀明は昭和35年の生まれであり、その幼少期は昭和40年代前半、まさに、サブカルチャーが昭和のフランス・ファンタジアを振りまいていた時代だ。彼もまた、昭和40年代の「エッフェル塔のある風景」に囲まれた少年時代を送っていたのではなかろうか。その記憶をこの映画に封じ込めたのではなかろうか。 この思いがいっそう強くなるのは、冒頭シーンに流れるBGMを理解したときである。苛烈な戦闘とは対照的に、BGMで流れるのは、戦闘中のパイロットのマリが鼻歌のように口ずさむ歌謡曲だ。水前寺清子の「真実一路のマーチ」(昭和44年)と佐良直美の「世界は二人のために」(昭和42年)である。 登場人物のマリと庵野はほぼ同じ世代という設定であり、戦闘中にも、「がってんだい」、「お茶の子さいさい」、「べらぼーめ」、「おととい来やがれ」、「滑り込みセーフ」、「アジャパー」という今では死語の昭和の流行語が連発されている。昭和という時代が過剰に表現されていることは間違いない。おそらく、庵野の記憶においては、「エッフェル塔のある風景」は、昭和40年代の歌謡曲とセットで思い出されるものなのだ。それは、昭和40年代に生まれ、昭和のサブカルチャーのなかで育ちながら、やがてフランスかぶれとなってしまう私には、本能的に理解されるものでもある。 パリ風景は、日本人が実際には見たことがなくとも、すでに既視感を覚えるノスタルジックな風景となっており、同じように、ルーヴル美術館にある《モナリザ》も、実際にはパリに行ったことがなくとも、雑誌の中で、あるいは映画の中で、「もうとっくに出会ってた」ということにもなる。 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は、庵野秀明の心の中の風景から生まれたものだが、その風景の一頁には、すでに冒頭の紋切型のパリ風景がプラットホームとして形成されていたのだろう。エッフェル塔と凱旋門と、フランスパンとルーヴル美術館のパリ。この風景は、庵野ひとりの心の風景ではない。昭和40年代生まれの私のなかにも、そして、おそらく、世界中の人々の心の中にも、プラットホームとして形成されてきたイメージであったのだろう。 (「あこがれのフランス」は日本人だけのものではなかった! パリオリンピック開会式を読み解く前篇「パリオリンピック開会式「謎演出」を《世界一のブランド》ルーヴル美術館の戦略から読み解き直す」)
藤原 貞朗(茨城大学教授)