エッフェル塔×「昭和の日本人」=『シン・エヴァンゲリオン』!? 刷り込まれた「パリへの憧れ」
昭和のフランス・ファンタジア
庵野が『シン・エヴァ』冒頭で提示したパリ風景は、言ってみれば、通俗的な「エッフェル塔のあるパリ風景」であり、世界中の誰もが知っているありきたりで凡庸な舞台設定だろう。「ここはパリです」という説明がなくとも、誰もがそれと分かる風景だ。そんな見飽きたステレオタイプの風景を、庵野はエヴァンゲリオンの最終回でわざわざ選んだということが、どうしても引っかかって仕方がない。 近代の日本は、永井荷風の『ふらんす物語』以来、フランス、とりわけパリを舞台とする物語を無数に生み出してきた。また、終戦直後からとくにアメリカ産、フランス産の映画で、「憧れのパリ」を舞台としたドラマが無数に作られてきた。じっさいにパリに行ったことがなくとも、物語や映画のなかのパリ、そして、エッフェル塔がそびえる風景を、私たちはこの百年間、幾度となく眺め、今ではもはや紋切型の舞台設定にしか見えない。 私が「エッフェル塔のある風景」を初めて見たのはいつのことだっただろうか。実際に目の前にしたのは初めてのフランス旅行をした大学4年生の時だが、しかし、その前にも、この風景を、映像や写真、あるいは絵で間違いなく何度も目にしたことがあった。では、いつ、どこで、それを見たのだろうか? 《モナリザ》が東京国立博物館にやってきた昭和49年、小学2年生だった私の実家にはこの絵の複製画がリビングに飾ってあった。「エッフェル塔のあるパリ風景」を初めて知ったのがいつだったかは正確に思い出せないが、昭和40年代のどこかの時点であっただろうと思う。昭和37年の初出以来、昭和50年頃まで断続的にマンガやアニメとなっていた赤塚不二夫の『おそ松くん』では、フランスに行ったことのないフランスかぶれのイヤミが「おフランス」の噂話を吹聴していた。 同じ頃、「少女週刊誌の女王さま」と銘打たれた『マーガレット』には、たびたびパリの現地報告が巻頭特集でなされていた。今、少し調べてみると、昭和42年10月1日号には、小学5~6年生と思しき少女二人がエッフェル塔の前で仁王立ちポーズをとる写真が表紙となっている。特集では「ヨーロッパおしゃれ旅行グラフ」でパリ土産プレゼントを紹介している。 あるいは、昭和44年2月2日号では日本の「平均的少女」の関心事が特集され、少女の頭の中には「すてきなドレスがほしい」、「タイガースにあいたい」に並んで、「フランスへいきたい」という夢があると報告されている。 日本人のフランス憧憬は明治末期から育まれてはいたが、特別裕福で欧米流の文化教育を受けたお嬢さまでも、フランスかぶれの文学少女でもなく、毎週マンガ雑誌を楽しみにしている平凡な「平均的少女」が「フランスへいきたい」という夢を抱いているということが昭和のフランス・ファンタジアの大きな特徴だろう。憧れがサブカルチャーの末端にまで及んでいたことがうかがわれる。 もちろん、これより10年前の昭和30年代には、もっと濃厚なパリ文化が日本のフランス好きを喜ばせていた。シャンソンが大流行するとともに、フランスの「アイドル」であるシルヴィ・バルタンやフランス・ギャルが来日するなどして、日本の若者たちを魅了し、歌声とともに、ステレオタイプの憧れのパリ情景を日本に伝えていた。残念ながら、昭和40年代生まれの私は、シャンソンもシルヴィ・バルタンも直接知ることはなかったが、その華やかなパリ情景の残影は、少年少女マンガや雑誌などサブカル・メディアに受け継がれていた。