「がんの余命告知はしない」江藤淳が41年連れ添った愛妻についた優しい嘘
● 妻の延髄の上の部位に はっきりした影があった 2月18日(※編集部注/1998年)の病状の説明は、当然のことながら2段階になっていた。まず家内と私が、CTの画像を見ながら、脳神経外科の専門医であるP博士から「脳内出血」についての説明を聴く。 ……病変はこの通り、延髄のすぐ上の部分にある。延髄はいうまでもなく、呼吸中枢の在る器官だから、困ったことに外科的な処置を取ることができない。手術や放射線による治療が、呼吸中枢を冒し、生命そのものを奪いかねないからだ。 もっとも「脳内出血」だから、そのうちに吸収されてしまうということがあるかも知れない。頬のしびれを起しているのは、もちろんこの病変だが、呼吸器に影響を及ぼしている可能性があり、この際それも是非検査して置きたい。…… 確かに延髄の上の部位に、病変と思われるはっきりした影があった。これが頬のしびれを起しているに違いない。しかし、この影がそのうちに吸収されてしまうということは、決してない。つまり、家内が治るということは、決してないのだ。 もとよりそんなことは一言もいわずに、私たちは家内の病室に向った。若い看護婦がやって来て、型通りの問診をしているうちに、質問が「家族」のところへ来た。 「御家族の構成は?」 「主人と私だけよ。ほかに犬がいるけれども」 「別居しているお子さんはいないんですか?」 「子供はいません」 と、家内が答えた。 「それじゃあ、入院中患者さんの着替を持って来るとか、そういうお世話は誰がなさるんですか?」 「それは私がやります。もちろん手伝ってくれる人たちはいますが、私が只1人だけの家族ですから」 と、私がいった。 「本当ですか?」とはいわなかったけれども、いかにも信じ難いという表情で、看護婦はチラリと私を顧みた。若くもなく、家事や看護の経験があるとも思われないこの男に、病人の世話などできるのだろうか、という顔だった。 そう思われても仕方がないと、私は自認せざるを得なかった。だが、誰が何と思おうとも、私がやらないとすればいったいほかの誰が家内の世話をするというのだろう? 「どうせ今回は検査入院だから、そういうことは心配しなくていいのよ」 と、家内が事も無げに一蹴したので、問診は次の質問に替った。