「きれいな柔道」は部活から 日本で知った奥深さ―元仏代表のフラマンさん・パリ五輪「大国の父、柔道日本」(下)
夢に見た日本の地を合宿で初めて踏んだのは1996年だった。 元柔道フランス代表のピエール・フラマンさん(52)は「きれいな柔道で日本の選手は憧れだった」と振り返る。 【ひと目でわかる】パリ五輪代表選考の主なスケジュール 指導者の父を持ち、5歳で柔道を始めた。父の道場には多いときには500人を超える生徒がいた。フランスでは、年齢別で週1~3回の練習が一般的。全国に数カ所しかない仏柔道連盟と協定を結んだ高校に進んでから、日本の部活のように毎日やるように。卒業後はパリの大学に進み、国立スポーツ体育研究所にも通った。国内大会を勝ち抜き、念願の代表チームに入ったのが96年。当時24歳だった。所属したパリの名門クラブでは「粟津正蔵先生から指導を受けた。優しいけど厳しかった」と思い出す。 99年に現役を退き、英国に留学。そこで出会った友人に「あと1年しか生きられないとしたらどこに行きたいか」と言葉を投げ掛けられ、日本で暮らす道を選んだ。立命大でフランス語教師を務めているときに元代表の経歴を買われて柔道部コーチに。現在は都内の会社に勤めながら慶大で柔道を教える。 日本の部活動に接し、子供たちが同じメニューを「素直に」繰り返す姿を見て、最初は「つまらない」と感じたという。フランスではさまざまな技を少しずつ学ぶシステムだからだ。だが次第に見方は変わっていった。 日本では反復練習をこなすことで中学生から得意技を持ち、自然に相手の力を利用することも覚える。今になって自身の現役時代は力に頼りがちで「いろいろな技を勉強したが全部がつながっていなかった」と感じ、日本で柔道の奥深さを知りつつある。 柔道は世界の共通語となったが、フランスにとって「やっぱり日本の影響が大きかった。名指導者が多く来たので他の国と比べたら恵まれていた」と指摘する。期待するのは2021年東京五輪の再現となる混合団体での日本とフランスによる決勝対決。両国の縁と意地が絡み合う特別な一戦になる。