噺家生活15周年の月亭方正が語る落語とテレビへの思い「今は結局、松本さんが作った庭で遊んでるだけ」
今年、噺家生活15周年を迎える月亭方正(56歳)さん。 落語家に転身したきっかけ、そして今バラエティ番組に思うことを伺った。 【写真】『ガキ使』について語る月亭方正さん * * * ■東野さんは真実を言う人 ――今年、方正さんは噺家生活15周年を迎えました。まだまだ落語は面白いですか? 月亭方正(以下、方正) 面白いですねえ。ただ、関西では僕に噺家というイメージが定着してきた一方で、関東では僕がどんな落語をやっているか知ってる人がほとんどいないんですよ。そもそも落語をしているところを見たことないって人ばかりで。 だから、関東ではいつも「ナメられてるやろな」と思いながら落語をして、「え?」って客席の空気が変わるのが快感で......(笑)。でも、それも「いつまでやんねん」ってなってきて(笑)。 関西で独演会やれば300席ぐらい完売するようになったけど、東京は『ガキの使い』(日本テレビ系列『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』)しか出てへんから、「へたれ」「アホ」「スベり芸」みたいなイメージのまま。だから、東京でもっと頑張らんとっていうのはあります。 その一方で、大阪に移ってから10年以上経ってようやく上方言葉、落語言葉が普通に言えるようになってきた。やっぱり最初のうちは「蕎麦食た」が「蕎麦食った」になるんですよ。ほかにも、昔の商いの言葉とか人の呼称とかがやっと染みついてきた。 東京にいたときは「あんなあ」も「あのさあ」って普通に言っちゃってたしね。生活してるうちにどうしても関西弁がまろやかになる。一般の方はそれでいいんだけど、僕は上方落語を生業にしていくつもりやったから、こんなことじゃ中途半端で終わってまうなと思って大阪に戻ったんです。 そもそも僕、関西が大好きで、19歳のときに上京したのは当時の東京が"中央"やったからなんです。日本の中央であり芸能の中央。今は違うと思うけど、中央の東京に来ないと仕事が回ってこなかったし、「売れた」ってことにならなかったので。 ――そもそも落語にハマるきっかけを作ったのは、東野幸治さんだったんですよね。 方正 東野さんって「白い悪魔」とか「血が通ってない」とか言われてますけど、裏を返せば、思ったことを全部言っちゃうだけなんです。ずっとあのまんま。若いときから真実をズバズバ言うねん。取りつくろうとか知らんし、できひんから(笑)。そら若いやつがそんなんやったら「なんや生意気に」ってなるしね。 でも、時を経て今どうですか? とても素晴らしいMCになってる。僕が理想の芸人像に悩んで相談したときも、「落語を聴いたら?」ってズバっと言ってくれた。東野さんの中で「こいつはひとりでやるもんが向いてる」っていうのが真実だったんだと思う。 東野さん、藤井(隆)君にも「役者をやれ」「舞台をやれ」って言ってて、その通りやったらすっごい花咲かせたしね。あの人、イヤなことも全部言うから信頼できんねん(笑)。 ちなみに芸能ゴシップや映画に詳しいのも昔から。今田(耕司)さんと東野さんの楽屋に入ったら雑誌がブワァ~ッて並んでるのよ。それこそ『週刊プレイボーイ』『週刊ポスト』『週刊現代』から『BUBKA』『実話ナックルズ』まで(笑)。あのふたりは新幹線でもずっとゴシップ記事読んで勉強してはる。僕は「いつ新聞になんのかな」と思っててんけど(笑)。 ――そんな東野さんから薦められた桂枝雀さんの落語はスッと入ってきましたか? 方正 東野さんから枝雀師匠を勧められて、『桂枝雀 落語大全 第一集』のCDを借りたんです。正直、ファ~と流れてしまったネタもあったけど、「高津の富」〈富くじ(今で言う宝くじ)にまつわる演目〉のまくらで「1億円当たったらこれ買うて、あれ買うて」と、はしゃいだ後に「......ただ、聞くところによると宝くじって買わんと当たらんのですねえ」と落とすくだりに心を掴まれたんです。 自分が持ってる札と当たり番号を見比べて「せんさんびゃくろくじゅうはち、1368! あ~!!......もうちょっとやのに」ってネタのくだりでは完全に「何これ、おもろいやん!」ってなってた。そこから半年間は枝雀漬けでした。DVDも全部揃えて1日2席3席絶対に見て。39歳にして初めて落語の面白さを知るっていうね。 ――枝雀漬けの半年間、バラエティ番組の仕事にも影響が出そうですね。 方正 こんなん言うたらあれやけど、その時期は魂が入ってなかったと思います(苦笑)。でも、それまで20年間テレビでやり続けていたから、なんの用意がなくても自然にできるんですよね。筋肉が覚えている、というか。「今から『アッコにおまかせ!』に出てください!」って今急に言われてもすぐ行ける。20年というのは人間にとってのある種の指標だと思います。