「無職・フリーター10年」……大人気YouTuber・岡野武志弁護士のぶっ飛びすぎな「履歴書」
「人の唐揚げに勝手にレモンをかけたら犯罪ですか?」(回答は記事末に) 昨年10月に刊行された『おとな六法』(クロスメディア・パブリッシング)で、このような質問に関西弁で法律的な解説をしているのは岡野武志弁護士(46)。登録者数150万人を誇る法律系YouTuberでもあり、SNSでおもしろ法律解説をする同氏を見たことのある人は多いだろう。 【画像】すごい……YouTube、TikTokの盾と『おとな六法』がずらりと並んだ岡野弁護士の事務所 岡野氏は全国12拠点にその事務所を拡大しているアトム法律事務所グループの創業者でもある。さぞやエリート街道を突き進んできたのだろうと思いきや、高校卒業後は大学には進学せず渡米。フリーターを経験した後に、高卒資格のまま司法試験にチャレンジしたという、異色の経歴の持ち主だ。そんな岡野氏にこれまでの経歴について聞いてみた。 大阪の枚方市で育った岡野少年は、「友達と探偵事務所をやる」とか「バイクで世界一周する」といった「将来の夢」を小学校の文集に書くような、ごく普通の少年だったという。勉強の要領はいいが、特別に成績がいいわけではなかったそうだ。なぜ、大学に進学せずにアメリカへ行こうと思ったのだろうか。 「高校受験は頑張ったんですが、入学後はバンド活動なんかをして、勉強もあまりしませんでした。成績は、学校の底辺をウロウロ。大学に進学しなかったのは、何か強い決断をしたわけではないんです。単に、よい大学を出て、よい会社に就職してというキャリアが魅力的には思えなかった。会社勤めとかではない、何か人とは違った方向に進むのかなと思っていました。みんなが通るところを行かなくちゃという感覚は全くなかったですね」 卒業後、しばらくフリーターをしていた岡野氏はアメリカへ行くことになる。だが、そこには何か確固たる動機があるわけではなく、「関西人なんで、『東京よりもアメリカの方が、進路としてイカツいかな』とか思ったりして(笑)」といったものだったようだ。では、アメリカでは一体何をしていたのだろう。 「何もしてないです(笑)。最初は英語学校に通って、行って2~3ヵ月で当時のTOFELで500点が取れて。要領は良いので頑張れば、できちゃうんです(笑)。しかし、行きたかった芸術系の大学に行くのに必要な出身高校の成績・GPAが、私は壊滅的だったので、行けないな、と。 すると、英語学校でがんばるモチベーションもなくなって。なんかプラプラしていましたね(笑)。安価で観られるライブに行ったり、スケボーしたり。ただただ時間を浪費したっていう、そんな感じです。東南アジアでバックパッカーが沈没するような、まさにあんな感じです」 2年半アメリカにいた岡野氏だが、「好奇心も満たされなくなってきて」なんとなく帰国して東京へ。そこには、自らが外れてきたレールを歩む友人達がいた。最初は合コンしたりアホなことをして一緒に遊んでいた友人たちも、大学3年にもなればスーツを着て社会へ出る準備を始める。そんな友人たちと自分とのギャップを見て岡野氏は、いつしか「もう真面目になろう!」と考えるようになった。だが、岡野氏がさっそく目指すことに決めたのは、最難関資格である司法試験だった。とても真面目な考えとは思えないのだが、そこには彼なりの理由があった。 「色々と調べて浮かび上がったのが司法試験でした。医師資格も良いなと思ったんですが、大学に6年間行かないといけないからちょっと無理。調べていくと、司法試験は高卒でも受けられる。さらに文系最強資格試験らしい。『一発逆転感、最高!』ってなりました(笑)。 司法試験については具体的には何も知りませんでしたが、『やったら、イケる!』と思っていました。後で考えてみれば、大分勘違いでしたけど(笑)。 もし普通に高校から大学へ行っていれば、100%司法試験は考えなかったでしょう。でも、アメリカに行って、物差しが変わっちゃったんです(笑)。最初は英語もできなかった18、19歳の人間が、NYの色んなところをうろついていたら、パワーがつくんですよね。未知のものにチャレンジすることへのハードルが下がっていたんです。『あの危険を孕んだ中に飛び込んで生き抜いたアドベンチャーと比べれば、司法試験なんて、机に向かって勉強するだけでしょ』って」 しかし、現実はそんなに甘くない。高卒の岡野氏は大学の3・4年生なら免除される一次試験から受けなくてはならず、それをクリアできたのは3回目の挑戦。最終的な司法試験合格まで丸5年の期間が必要だった。心が折れることはなかったのだろうか。 「心が折れる以前に背水の陣です。22、23歳から始めて、合格する28歳まで、分かりやすく言うと10000時間勉強しました(笑)。耐えられたのは、成績が右肩上がりだったことがあります。司法試験って、論文の試験をA評価の点数で落ちて、勉強して翌年受けても今度は論文でD評価の点数だったりするような人も多いんです。私もそうだったら、キツかったと思います」 ’06年に司法試験に合格した岡野氏だが、司法修習を終えるといきなり独立して現在のアトム法律事務所を開業する。 「最初から開業と考えていたわけではないんです。事務所に所属する流れにも乗りたかったんですが、『ここに入りたい』という強い気持ちを持てる事務所には入れなくて、それしか道がなかったので。 でも、無職・フリーターを10年やっちゃうと、組織や団体に所属しなくても平気な感覚が鍛えられすぎちゃって(笑)。普通は組織や団体に所属して、そこで修行してから独立でないと、恐怖感があると思うんです。でも、こっちはゼロから原野を開拓して生活することのネイティブ、それが普通みたいになっていたので(笑)。とりあえずは弁護士資格という強い武器があるわけですから、『絶対に生活はできるな』という思いはありましたね」 過払い金業務で弁護士業界が湧く中で、岡野氏が扱うことに決めたのは私選の刑事弁護だった。時は規制緩和で弁護士業界でも広告を出せるようになってからまだ日が浅い’08年。まだ積極的に広告を活用する弁護士事務所が少ない中、アメリカ時代からPCに触れていて、SEOの知識もあった岡野氏はネットでWeb広告を活用する戦略で成功をおさめた。 「私選の刑事事件を扱おうと考えたのには理由がありました。私は司法修習中に交通事故を起こしたのですが、そのときに分からないことがたくさんあった。法律家に一番近い一般人、という立場の司法修習生でも分からないのだから、警察沙汰の刑事事件に関して、相談したいニーズはあるだろうと思いました。儲かるかどうかは別にしても収支は立つだろうと考えました」 実際に新規の相談者や顧客がどんどん押し寄せてきたそうだ。ただ、元々、広告を出す慣習がない弁護士業界にあっては、広告で顧客を獲得することへの批判もあった。 「色々な批判はありましたし、同業の弁護士からは嫌われているのかな、と感じたこともあります。実際、開業して半年で弁護士会から調査が入りました。事件の解決実績をHPにアーカイブしていたのですが、『こんな即独(即独立する)の弁護士が、短期間でこんなに事件を解決できるはずがない!虚偽広告だ!』って、誰かが弁護士会に言ったんですね。やはり面白くなかったんでしょうね」 その時々で自分の感性に従って自然に生き抜いてきた岡野氏。現在では、既存のレールに乗らずに起業することのハードルは相当下がった。岡野氏のやることが、時代の先取りをしていただけなのかもしれない。 「ここまでの自分の人生を振り返ったとき、まさか弁護士になるなんて思ってもみなかったですし、YouTubeをするとも思っていなかった。なので、また、パーっと何かを狙いたくなるかもしれない(笑)。『時流に乗る』ことを座右の銘としているので、将来また何か新しくて面白そうな流れがあれば、そこに飛び乗って楽しんでいると思います」 岡野氏はまだまだ原野を開拓して生きていけそうだ。 (*ちなみに、冒頭の質問に対する岡野氏の法律的な回答としては、「基本的には罪にはならないが、場合によっては罪になる。重度のレモンアレルギーを持つ人の唐揚げにかけると、器物損壊罪に問われる可能性がある。その人にアレルギー症状が出れば、傷害罪に問われる可能性があり、結果死に至った場合には、傷害致死罪・殺人罪に問われる可能性すらある」だ!) 『おとな六法』 (クロスメディア・パブリッシング)
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