【阪神】藤川新監督に流れる野村克也、星野仙一、岡田彰布イズム「ユニホームを着ていない時間は…」
野村、星野、岡田。体内に流れる3人の「名将の血」で令和の虎を導く――。阪神・藤川球児監督(44)が4日、大阪市内のホテルで行われたトークショー終了後、報道陣の取材に対応。この日が命日だった故星野仙一元監督への思いを語った。 藤川監督は1998年のドラフト会議で、高卒選手として阪神に1位入団。この年のオフから指揮官に就任した野村克也さんの指揮下でプロとしてのキャリアをスタートさせると、星野政権時代の2002年にプロ初勝利をマーク。その後、岡田監督(第1次政権時、現オーナー付顧問)によってリリーフに配置転換され、プロとして大成する足掛かりを本格的につかんだ。 〝闘将〟として名をとどろかし、気性の激しいイメージが強い星野さんだが「心優しくて人情味のある方だった」と藤川監督は振り返る。人心掌握にたけた指導者だっただけに「『どんな選手にどういうふうにアプローチをするべきか』とかを考えた時には、一番に星野さんが頭に浮かぶ。ユニホームを着ていない時間は、星野さんの教えが一番強いかもしれない」。 選手育成や組織のマネジメントに手腕を発揮した野村さんに加え、現場指揮官としての用兵に強みを発揮した岡田顧問。球史に名を刻んだ名将たちの下で10代~20代半ばまでの時期を過ごした藤川監督は「自分は本当にいい指導者に恵まれた。組織のことを考える時や、耳の痛い話を説かなければならない時は野村監督が浮かぶし、『ここは黙って見過ごそうかな』という時は岡田前監督が出てくる」と笑った上で「キャンプインや開幕前に(世間へ)メッセージを送る時には、星野さんの存在がものすごく大きくなる」と語る。 采配、育成以外にも組織のオーガナイザー、モチベーター、時に広報担当者としての役割まで求められるのが指揮官業。昭和の時代から脈々と続く虎の名将たちの系譜の中に、自身の名を刻むことができるか注目したい。
東スポWEB