15歳でふるさと離れ自転車留学した松井優佳 一度は就職活動に励むも…再び運命に導かれガールズケイリン界へ
日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。今回は124期の卒記クイーンとして2023年にデビューし、今年5月に念願の初優勝を挙げた松井優佳選手(25歳・大阪=124期)にインタビューを行った。抜群の運動神経で中学から自転車競技に打ち込むも競輪選手になるまでには遠回りも経験。インタビュー前編では、プロを目指すまでの軌跡を振り返ってもらった。
天性の運動神経で3歳から“コマなし”
大阪市吹田市出身の松井優佳。3歳上の姉、6歳下の弟と3人きょうだいで育った彼女は活発で、小さいころから自転車が大好きだったそう。「お姉ちゃんはコマ(補助輪)なしの自転車に乗っていて、自分もお姉ちゃんと一緒が良くてコマなしの自転車に3歳くらいから乗っていました」と驚きのエピソードも飛び出した。運動神経の良さは天性のものだったようだ。 学生時代は水泳、バスケットボール、トライアスロンなどに挑戦。中学2年生になると自転車競技一本に絞った。 「中学1年生の頃、ガールズケイリンが始まりました。ロードレースの大会にいくと、周りの大人から『優佳ちゃんは将来、ガールズケイリン選手だね』って言われることが増えていきました。自分でもガールズケイリンの選手がいいかな、と思うようになりました」
高校進学を機に、15歳でひとり鹿児島へ
高校は紆余曲折を経て、鹿児島県の南大隅高校へ進学を決めた。 「元々京都の自転車競技部がある高校に進学しようと思っていました。でも中学1年生の頃からガールズサマーキャンプに参加していて、南大隅高校の人と知り合いになったんです。その人から女子の強い自転車競技部があると聞いたのを覚えていて、最初は軽い気持ちで学校見学に行きました。そうしたら南大隅高校の環境がすごく良くて『この高校に通いたい』と」 一般入試で南大隅高校を受験し合格。自転車漬けの下宿生活が始まった。15歳でひとり大阪から鹿児島に移った松井は、心細さに襲われることもあった。 「3年間ですからね。最初の1年はホームシックになりました。泣きながら家に電話をしている時期ももちろんありました。でも下宿先の人たちがすごく温かくてホッとできる場所でした。食事や洗濯など生活面でサポートしてもらいながら高校に通っていました」 自転車競技の名門高である南大隅高校には、松井の2学年上に寺崎舞織、1学年下には谷元奎心がいた。ガールズケイリン選手を目指すには抜群の環境に違いなく、松井自身も高校入学時は選手になるためのステップアップの場所として考えていたが、高校3年間で心境の変化が芽生えた。 「高校に入ったときは卒業してすぐ現役で競輪学校の試験を受けるつもりでした。でも南大隅高校が練習する場所には鹿屋体育大学の選手も来るんです。それで3年生のころには私も大学に行きたいと思うようになりました」 高校時代に自転車競技の大会でしのぎを削り、仲もよかった山口伊吹(116期・長崎)や藤田まりあ(116期・埼玉)は高校卒業してすぐ競輪選手になった。松井も「2人と一緒に競輪学校(現・日本競輪選手養成所)に行けたら楽しいかな」と思った時期もあったというが、競輪学校は受験せず、スポーツ推薦で同志社大学へ進学する道を選んだ。 「競輪選手になりたい気持ちはありました。でも選手になってから何かあった時のことを考えたとき、大学に行っていればいろんな選択肢が選べるはずだと。それでまずは教員免許を取ろうと思いました。もしかしたら競輪選手以上にやりたい仕事が見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。そう考えて大学に行くことにしました」