ダンスで全国優勝を果たした後に、バレーでも全国優勝!? Dリーグ最年少ディレクターKENSEI Vol.1
バレーでも全国優勝!?波乱万丈の中高時代
ーそこから中学ではバレー部に入ったとお伺いしましたが KENSEI:ダンスへの熱量も下がっていましたし、これ以上伸びしろもないなと思ってしまったので、ダンス以外の領域に挑戦してみようということで、バレー部に入りました。バレー部を選んだのは、元々自分の父がバレーをやっていたのと、自分が背も高かったから、というところですね。 ーそこからダンスからはしばらく離れられた形ですかね? KENSEI:意外とダンスをやめてからのほうが、ダンスをみたりする機会は増えましたね。中学校に入って携帯電話を持つようになったことも影響しているとは思いますが。当時はGREENTECKっていう、まだ当時はそんなに有名じゃないチームだったんですけど、追いかけていましたね。その後GREENTECHは国際大会で優勝したりとか、すごい実績を残しているんですけど。 ーバレーでも全国優勝という結果を残されたとお聞きしたんですが KENSEI:中学校自体は一回も勝てないような、そんなに強いチームではなかったんですけど、県選抜に選んでもらって、そこで都道府県対抗大会のようなもので全国優勝をすることができました。 自分はベンチスタートになることが多かったんですが、当時から身長が高かったのと、肘が柔らかいことを買われて、ウィングスパイカーとして、交代で攻撃的な役割で試合に出ていましたね。 ー中学校から始められて、県選抜に選ばれることはなかなかないのかなと思うんですが KENSEI:いや、やっぱり周りの子たちはすごかったですよ。日本代表候補のような子たちもいましたし、基礎的な技術のレベルが全然違いました。 ー高校でもバレーを続けられたんですか? KENSEI:そうですね、続けはしたんですが、高校一年生の途中でやめて、またダンスの道に戻ることになりました。 ーバレーをやめられたのはどういう理由があったんでしょうか? KENSEI:いわゆる強豪校に入ったので、基礎的な技術を教えてもらったりと、バレーのスキル自体は高くなっていて、伸びしろは自分自身感じていたんですが、身長の伸びが止まってきたことと、強豪校の体育会系的な指導になかなかついていけず。 あとは、ダンスへのモチベーションが再燃したということも大きな理由ですね。当時、今Dリーグで活躍しているYU-KI、Taichiら、一緒にコンテストに出ようと誘われて。小学校のときの実績を買ってくれて、誘ってくれたんですが、自分が足を引っ張ってしまって、結果を出せなかったんですよね。そこで自分の中で「このままじゃダメだ」というか、そういう何苦楚魂みたいなものが芽生えて、ダンスの道にもう一度戻ろうと決意しました。