ダンスで全国優勝を果たした後に、バレーでも全国優勝!? Dリーグ最年少ディレクターKENSEI Vol.1
今季で4年目を迎えたDリーグ。開幕から熱戦続きのリーグにおいて、今年から最年少の21歳でディレクターに就任したdip BATTLESのKENSEIは、パフォーマンスでも、その経歴でもひときわ異彩を放っている。今回はそんなKENSEIに、ダンスを始めたきっかけから、一度ダンスを離れ、バレーに打ち込んだあと、ダンスの道に再び戻ってきた、波乱万丈の学生時代について話を聞いた。
小学校4年生で全国優勝を経験も、熱量は追いつかず
ー本日はインタビューよろしくお願いいたします。まず、はじめにダンスという存在に触れたきっかけについてお聞かせください。 KENSEI:幼稚園のときに、年上の友達がダンスを習っていて、その発表会を見に行ったときに、「ダンスを習いたい」と言ったみたいです。全然覚えてはないんですが(笑)。 ーそこから、ダンスにのめり込んでいかれたと思うのですが。 KENSEI:そうですね。きっかけとしては、チームを組んだことですね。ダンス自体はスタジオで習うことができるんですが、そのスタジオ内でコンテストやバトルに出るためのチームを組むことがあって。そのチームのオーディションに出て、選ばれてからどんどんダンスにのめり込むようになっていきました。 ーそれは何歳頃のお話ですか? KENSEI:小学校1年生のときですね。当時のチームは小学校1年生から6年生までいて、その最年少メンバーとして選んで頂いた形です。 ーその後、全国大会に出場されたり、様々な輝かしい実績を残されていますよね。 KENSEI:小学校4年生のときに、別のスタジオに通うようになって、そこから個人として九州大会に出たり、チームで出場した「avex セブン&アイ ダンスコンテスト」で全国優勝を経験させていただいたりしましたね。 ただ、順風満帆というわけではなくて、自分の中では小学校4年生のときをピークに、ダンスへの熱量やパフォーマンスが下がってしまっていて、練習も本番の前日にしかやらなかったりとかっていう時期がありましたね。 ーそれだけ実績を残されていたのに、熱量が下がってしまったんですね KENSEI:そうですね。一つは、身体的な成長に伴って、それにあわせたパフォーマンスができなくなったことが理由です。あと、当時の自分は、オーディションで選ばれたことをきっかけにのめり込んでいったように、ダンスというものを「他者からどう評価されるか」ということを軸に捉えていたんですよね。他者の評価ばかりに囚われてしまって、ダンスを楽しむということができなくなってしまっていたのかなと。 特に、自分のダンスジャンルであるポッピングは歴史がすごくあって。そして九州という土地柄上、「基礎的な部分」にすごく重きが置かれる風潮があったんですよね。そんな中で、発展的な、枠を飛び出たようなパフォーマンスがあまり評価されない部分があるんじゃないかなと感じていたので、よりダンスにおいて「自分がどういったことを表現したいか」という部分を軽んじてしまったのかなと今になってみると思います。