栗山英樹が振り返った日本ハム監督就任1年目 指導者経験のない指揮官はなぜ優勝できたのか?
──かつて、プロ野球の監督になるためには、現役時代の成績や知名度が必要だった。歴史を振り返ってみても、その球団で功績のあった名選手が指導者になるケースが多い。世界大会に出場する日本代表の監督もまたしかり。アテネオリンピックの長嶋茂雄(病気のために中畑清が監督代行)、第1回WBCの王貞治、北京オリンピックの星野仙一、第2回WBCの原辰徳など、スーパースターが名を連ねた。 【写真】日本ハム「ファイターズガール」オーディション密着取材・フォトギャラリー * * * 「新刊書籍『栗山英樹の思考 若者たちを世界一に導いた名監督の言葉』(ぴあ刊)より本文を抜粋してお届けします。 【期待のかけられ方がほかの監督と違う】 2012年に北海道日本ハムファイターズの監督になった時、名選手でもないうえに指導者としての経験のない私が監督として成功するとは誰も思わなかったかもしれない。「どうせ失敗するだろう」と考える人がたくさんいたでしょう。そういう意味で言えば、非常にやりやすかった。 なぜなら「普通のこと」をやらなくてもいいから。逆に、「普通のことをやっても仕方がない」くらいに考えていました。セオリーに縛られることなく、思い切った勝負ができる。結果を求められないわけじゃないけど、期待のかけられ方がほかの監督とは違っていると感じました。だから私は、「自分を信じてくれた人に恩返しをしなければ」と思ったし、「そのために自分の信じることをやろう」と決めました。 プロ野球という世界のなかで、私が異分子であることは間違いない。甲子園で活躍して、プロ野球でタイトルを獲ったという、いわゆる野球エリートではありません。 ──現役引退後、スポーツキャスターとして活動していた栗山に意外なオファーが届いた。2004年に本拠地を移した北海道日本ハムファイターズの監督----。2006年、2007年にリーグ連覇、2009年にも優勝したチームを任されることになったのだ。栗山はファイターズに所属したこともなければ、指導者としての経験もなかった。 * * * 監督のオファーを受けた時、冷静に考えて「私のような人間がプロ野球の監督をするのは間違っています」とお断りした経緯があります。ただ、球団の方から監督としての実績うんぬんではなく、「野球を愛して、選手を愛してくれればいい」と言われ、考えが変わりました。「それならできるかもしれない」と思ったからです。 監督として約束したのは「選手にウソをつかない」ということ。「マイナスをプラスに変える」という発想自体はありましたが、プラスに変える方法を持っていなくて、「これからなんとかして見つけます」という思いでした。でも、自信はまったくありません。具体策もなし。そういうところからのスタートでした。