NHK「べらぼう」の「蔦屋重三郎」、その「菩提寺・正法寺」住職が語った「知られざる供養の歴史」…!
1月5日からNHKで放送が始まる大河ドラマ「べらぼう」。横浜流星が演じる主人公で“江戸のメディア王”こと、蔦屋重三郎(蔦重)の菩提寺、正法寺(東京都台東区)には、ドラマ化が決まるや早くも観光客が足を運び始めているという。 【写真】「菩提寺・正法寺」住職が語った「知られざる供養の歴史」 震災などで何度も全焼に見舞われ、蔦重の墓石も、江戸時代のものは残っていないが、それでも観光客がひっきりなしに訪れる理由とは何か。そんな蔦重と正法寺との知られざる関係を特集した「NHK2025年大河ドラマ完全読本 べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(産経新聞出版)の正法寺住職・佐野詮修氏へのインタビュー記事から、一部抜粋・再構成してお届けする。
江戸時代の蔦重の墓石は震災、戦災で残らず
正法寺は蔦屋(喜多川家)の菩提寺として歴代の供養が続けられてきました。関東大震災や東京大空襲などで、お寺が何度も全焼に見舞われ、残念ながら古いものがほとんど残っていません。蔦重の墓石も、江戸時代のものは残りませんでした。私の父親である先代がこのお寺を建て替える時に、史料を参考に復元したのが現在の墓碑や墓碣銘です。 図書館で調べてみると、昔あったお墓には、大田南畝や石川雅望が書いた碑文が刻んでありました。彼らは狂歌の仲間で、蔦重の人柄がしのばれるいい文章だと思います。
歴代住職がお骨をかき集めて納骨堂に納める
安政の大地震や関東大震災、東京大空襲など多くの殉難でお寺は全焼を繰り返し、お骨が一緒くたになりました。そのたびに歴代の住職がお骨をかき集めては納骨堂に納め、その上部に「礼盤」というお経をあげる場所をつくってお勤めをしてきました。 先代が墓碑・顕彰碑・無縁塔の3つを一緒に建てたのは、関東大震災のときにいったんバラバラになってしまったあと、かき集めたお骨の中に「蔦屋家」のものがひと欠片でもあってほしいという想いで、こういう形で供養していたんだと思います。
相次ぐ殉難の中でも供養欠かさず
先代は朝のお勤めのとき、必ず外の歴代墓・無縁塔・蔦屋家墓域へ来てお経をあげていました。江戸時代の古い蔦屋家のお墓がなくなったのは残念ですが、蔦重の墓碑・顕彰碑・無縁塔は歴代が出来る限りのことをしてつないできた賜物です。 せっかくお参りにくる観光客の方々には、江戸時代のお墓をお見せできず本当に申し訳ないことです。ただ、お寺ではそういった殉難の中で、できる限りの供養があったんだということをわかってもらえればありがたいです。
産経新聞出版