連帯って何だろう? 高知市のフェミニズム書店主が語る、ゆるくつながる面白さ
自分が傷ついていたことに、初めて気付いた
30代は、必死に子育てに向かった10年だったという。仕事も辞め、好きだった本も長女を出産してから2年ほどの間、読めなかった。 「もちろん楽しいことやうれしいことがいっぱいあったんですが、つらいことのほうが多く感じて。自分がダメな母親だって、ずっと思っていた。自分が悪い、って」。ただ、なぜ苦しいのか、自分でもわからなかったという。 そのときの感情を、ZINEへの寄稿でこうも綴っている。 「今であれば、子どもが愛しいことや家庭がある喜びと、自分が尊重されていない苦悩は両立すると分かるが、当時は性別役割分業に絡めとられ、引き裂かれて、濃い霧の中にいつまでも閉じ込められているようだった。窒息しそうになりながら、誰にも気持ちを打ち明けられず、それでもなんとか『普通の母親』であろうと振る舞い続けた」 霧が晴れたのは、本を通じて「フェミニズムと出合い直していった」からだった。10代のころから関連する本を読んでいたため、書店を開くなら女性学やフェミニズムを柱にしようと思った。見渡す限り、全国的にも見ないように思ったからでもあった。 当時はMeToo運動も盛り上がりを見せていたころで、関連する新しい書籍が多く発刊されていた。特に、フェミニズムに関連する書籍を扱う出版社のエトセトラブックスが刊行する雑誌『エトセトラ』で、女性学研究者の田嶋陽子さんの言葉に触れたとき、救われたように感じたという。 「自分が言語化できなかったものが全部、本に書いてあるなと思って。田嶋陽子さんも『自分が抑圧されていたら自分が腹の中で何を考えているか本当のところが分からなくなる』と書かれていました。いまの自分の状況を、わかりやすい言葉で言ってくれた。『自分が悪いと思わなくていい』とか『まず自分が引き裂かれているという状況に気がついて、そこから自分がどうするかということを考え始めるべきだ』とかーー若い頃に読んでいた堅めの本よりも、ストンと落ちてきた感じがしたんです」 「フェミニズムの言葉を知ったから、自分の状況が言語化できて、はじめて自分が傷付いちょったってわかった。じゃあ、これから自分はどう生きていこう、どうやったら生きていけるんだろうと思ったとき、できることをするしかないと思いました」