『ビートルジュース』初期バートンのアイデアと趣向が詰まった祝祭的な快心作
ティム・バートン、最初の試金石
『ピーウィーの大冒険』(85)で長編映画監督としてデビューを果たした我らが奇才ティム・バートンだが、この映画はもともとポール・ルーベンスが演じて人気を集めていた既存のキャラクターを用いたテレビ番組の映画版なので、バートンがゼロから生み出したものとは言い難い(とはいえ細かく見れば、ノリの面でも、描写の引き出しの多さの面でも、バートン色が満載なのだが)。 しかしながら彼にとってこれがキャリアの”足がかり”になったのは間違いない。この映画が着実にヒットを飛ばしたことで、新人のバートンには次なる可能性が与えられることに。そうやって新たな企画を探す中で、目に留まったのが『ビートルジュース』(88)の脚本だった。あの世とこの世を行き来し、死をネガティブではなく明るくユーモラスに見つめる趣向に、おそらくバートンは自らが抱え持った発想や感覚に極めて近いものを感じたのだろう。 これまた『シザーハンズ』(90)や『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(93)のようなバートン自身のコンセプトから出発した純度100%の作品ではないものの、『ビートルジュース』の脚本を長編映画へと具現化していく上では、これまで体験したことのないような創造的な作業が必要となった。 良くも悪くも”つかみどころのない”脚本はどんどんリライトが重ねられ、さらにバートンは主演のマイケル・キートンと共にアドリブやギャグなどを大いに取り入れながら”ビートルジュース”という奇妙奇天烈な役どころを練り上げていった。公開当時、バートンは30歳。本作は彼の持ちうるオリジナルな創造性を映画市場へと本格的に解き放ち、真価を問うまさに最初の試金石となった。 物語は程よい緑に囲まれた郊外住宅地で巻き起こる。丘の上に立つ念願のマイホームで快適に暮らしていたアダム&バーバラ夫妻は、ある時、自動車事故で川底へ転落し亡くなってしまう。そのまま幽霊となって自宅に住み続ける中、新たに騒がしい家族(こちらは生者)が引っ越してきて住居を勝手に改造しようとするのを見て困惑。どうにかして彼らを追い出そうとあの手この手を尽くすものの、一向に出ていってくれない。業を煮やした彼らは、「バイオ・エクソシスト」を名乗るビートルジュースに相談を持ちかけ、代わりに彼らを追い出してもらおうとするのだが、これが引き金となってビートルジュースは手がつけられないほど暴走しはじめ・・・・。