能登で独自の支援 在宅被災者に食料届け 74歳「自分は感・即・動」/兵庫・丹波篠山市、石川
◆ゆっくり交流 信頼関係構築
活動初期には地元の人の了解を得て、空き地でテント生活を送った。支援を続ける中で住民との交流が深まり、「一緒にコーヒーでも飲みますか?」から、「ご飯作ったから食べる?」などと声をかけられるようになり、ゆっくりと信頼関係を構築。そのうち「テントは寒いでしょう? 空いている建物があるから使ったら」と言ってもらえるほどになり、支援拠点として空き店舗が借りられることになった。「口約束ではいけない」と、きちんと契約書を作り、月々の家賃も設定している。 今では互いに困ったときは協力し合う関係。「自分たちのようなよそ者は、地元の人と一緒に動くのが一番。自分の思いだけで動くと迷惑をかけてしまう。人間関係をつくっていれば、『あの人の知り合いか』と話をしてもらえるさかい」と喜ぶ。 また、縁ができた福祉施設や地域で炊き出しをするために、熊本地震の際につながった熊本県西原村のNPO法人「にしはらたんぽぽハウス」が所有するキッチンカーを貸してもらおうと打診したところ、「ぜひ使って」と二つ返事をもらった。 関西などの仲間の協力も得て、珠洲や輪島で天丼やブリの漬け丼などを振る舞ったほか、石川のソウルフードのみそ鍋「とり野菜みそ」も提供。「こんなにおいしい炊き出しは初めて」と大好評だった。
◆ボランティアの少なさを懸念
岩下さんは、バングラ支援の傍ら、東日本大震災の際には宮城県女川町でボランティアのためのテント村を設立。熊本地震では、屋根にブルーシートをかけるなどの支援活動を長期にわたって行ってきた。 もともと予定していたバングラでの活動もあり、年明けから石川とバングラ、さらには熊本と、各地を走り回っており、息つく暇もない。それでも「目の前に困っている人がいたら助けるのが普通ちゃうかな」と言い切る。 そんな岩下さんが懸念するのは、これまで活動した被災現場と違い、一般のボランティアの受け入れが進んでいないこと。「今の状況では、復旧はかなりの長丁場になるのでは」と心配する。 道路状況や受け入れ態勢の問題で、「能登に来ないで」とメッセージが出され、自粛ムードも広がっているが、「いろんなことを言う人がいると思うけれど、気にしていたら何もできないし、自分の目で見ないと本当のことは分からない。やっぱり自分は『感・即・動』(感じたら、即、動く)。これが一番やと思う」。信念を胸に、現地の人たちと共に復興へと歩みを進めている。