「大社で甲子園を目指すことが、無限大の地元愛」甲子園8強の石飛文太監督(43)
母校の野球部監督に就任して4年。夏は32年ぶりの島根大会優勝へ選手たちを導き、93年ぶりの甲子園8強を果たした。試合後のインタビューでは「生徒の夢は無限大」と声を震わせながら、健闘した選手たちを晴れやかに語った。「島根のチームでも、ここまで活躍できると感じたんですよ」 島根県出雲市湖陵町出身。小学3年で地元のスポーツ少年団に入り、野球を始めた。32年前、大社高が甲子園出場を決めたときは小学5年。当時の盛り上がりは覚えていないが、「甲子園を目指すなら大社という風潮だった」。
起用されず悔しさ残る
念願の同校野球部に入ったものの、メンバー入りできない日も多かった。それでも、「補欠はミスしても補欠のまま。成功するまで何度でもチャレンジしよう」と前を向き、3年間一度も休まず練習に参加。貴重な出番は守備も盗塁もバントもこなし、3年夏にはメンバー入りした。 だが、準々決勝の江の川(現・石見智翠館)戦は先発から外れ、ランナーコーチャー。相手にリードされる試合展開に、「俺を使え」とベンチへ向かって監督に猛アピールしたが、起用されることなく試合に負けた。生粋の負けず嫌いだけに、「誰も自分の努力を見てくれていなかったんだ」と、悔しさだけが残った。 「高校野球で、真剣勝負の続きを見たかった」。指導者になろうと、大学で国語の教員免許を取得した。2011年、講師として母校に戻り、翌年、同校教諭に採用された。野球部ではコーチを務めたが、かつての教え子でもある同部の井上誠也部長(27)いわく「常にファイター」で、とにかく厳しい指導で有名だった。笑顔を見せず、プレーの意図がずれていると、強く叱った。
主体性導く指導法に
監督として初めて迎えた21年の夏は、決勝で敗れた。コーチ時代との責任の違いもあり、「怒る自信をなくしたし、怒ってばかりでは優勝できないと思った」。 指導法を見つめ直し、対話の機会を増やすようになった。プレー後の選手には「なんでバットを振らなかったの?」などと、問いかける。それは、教壇に立つ国語の授業でも心掛けるスタイルだ。「答えは本に書いてないから」と、選手たちに気付きを与えるよう努め、主体性を育てた。 これまでの目標は「何が何でも甲子園」だった。実現した現在の目標を問うと、「目標は甲子園。選手にとっては一生に一度のことだし、大社で甲子園を目指すことが、無限大の地元愛にもなるんじゃないですかね」と笑った。 一方で、うまくいかない選手には「努力しても報われるとは限らないが、成功するのは努力するやつだ」とも背中を押す。かつての自らの姿に重ね、伝えられる言葉があると思っている。(小松夕夏)